top of page

ナウシカとアンパンマン / IQ127の美少女ミッキーが考察する日本アニメの世界

「風、光、重力、強度、速度」 宮崎アニメに必要なのはアニメの知識じゃなくて「自然、物理」の感覚。 しかも受験生みたいに計算式を覚えるのではなくて「目で見て感覚を掴まないとダメ」。 宮崎駿が「アニメが好きなオタク」に冷たいのは、 宮崎駿がこだわる表現と「アニメ好き」が喜んでいる部分の肌感覚が合わないから。 物理法則を全部無視しても、視聴者が喜ぶアニメは作れるんだけど。 宮崎駿がやりたいのは「自然法則をセル画で再現すること」 つまり「宇宙を自分で動かしたい」そこに興奮がある。 でも、アニメファンが求めてる「アニメ」が「現実からの逃避、二次元」だと目指してるものが全く違うから、話が全然噛み合わないのよね。 そういうところで、ずっとイライラしてるのが宮崎駿。 宮崎駿にとっては「バルス!」なんてセリフはどうでも良いのよ。 「重そうな要塞が、重そうに空中に浮かんでいる」 これを「絵だけで表現した」ことこそ、一番の見せどころなのよ。 「風、光、重力、強度、速度」アニメが次元の全てを支配する一瞬だから。 ところがバカはそんなこと無視して「バルス」というセリフに食いつく。 しかも、アニメのそのシーンに夢中になってツイートしてるわけではなくて。 単に、ツイッターでみんなが騒いでるから、自分ものっかってみただけ。 バカはアニメなんて理解できないわよ。 当たり前じゃん、バカなんだから。 でも、宮崎駿は、バカがアニメに食いつくことも知ってるの。 そして、それがわかっていてメシの種にしている自分が嫌いっつーね。 彼が偏屈なのは、自己嫌悪も入り混じっている。 宮崎駿は人間嫌いだからね。 人間は観察してないと思うの。 ナウシカやサンは、人間ではなく「動物」をモデルにしてるような気がする。 動物園で動物を観てると動物が人間に見えたりするじゃん。 それがナウシカやサンだと思う。全然人間らしさ感じない。色気がないもん。 不気味。あんな女、気持ち悪い。 セリフもテキトーだし、アホくさい。 宮崎の主人公のリーダーシップつーか「群れを統率」するところも動物っぽい。 物語の解決の仕方も知恵を絞った「理論的な解決」ではなく、感覚的でしょ。 「強くお願いしたら不思議な奇跡でそうなりました!」みたいな。 あ、そうですかって。

アホくさい。

宮崎アニメは、周辺部分はしっかりしてるけど、根本がアホくさい。

勿論、宮崎も手塚も、藤子Fも、当然みんな凄いわよ。 でも、人間だからさ。当然みんな限界も抱えている。 手塚治虫は圧倒的に凄いけど、あくまで「舞台、演劇、映画、現実の観察力」がベースでしょう。 手塚治虫はあくまで「超秀才」。 作品の優劣とは別の話だけど、天才はやなせたかしじゃないかな。 「アンパンが自分の頭を食べさせて人を救う」 これは観察や研究どうこうじゃなくて、とんでもない閃きというか。 宮崎とは全く違う「理論的な解決」がそこにある。 アンパンチでぶん殴り、自分の顔を食わせて、人を救うの。 「風が…泣いてる」みたいな、トンチンカンなこと言ってるナウシカとかサンみたいな感覚的なメンヘラ女とは全然違う。 アンパンマンは、明確な解決方法を知ってるのよ。 しかも、ドラえもんの四次元ポケットとは異なり、アンパンマンの顔には「哀愁」も含まれている。 暴力は解決策のひとつだけど、そこには哀しみも伴うのよ。 だから、アンパンマンはバイキンマンを殺したりはしない。 彼らの間には、切っても切れない、不思議な関係があるの。 アンパンを放置したらカビが生えるのよ。 だって、パンは発酵させなきゃパンにならないんだもの。善と悪はとなりあわせなの。 どうにもならないのよ。 そこまで、やなせは見切ってる。私にはわかる。 「愛」をここまでわかりやすく表現した例は、地球上に存在しない。 法則や方程式を超えたところに、やなせはいるのよ。

タグ:

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
bottom of page