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【ゆっくりエヴァ】「新世紀エヴァンゲリオンiwaraー再構築をキミへ。」リリースしました。

こんにちは、メグデス事務局です!今回はストーリーモノで17分の超大作です。エロシーンも頑張りましたが、それ以外も頑張りました。


【動画】


■■ エヴァンゲリオンに対する自分なりの決着


今回はストーリーモノで17分の超大作です。エロシーンも頑張りましたが、それ以外も頑張りました。

本作品は、エヴァに対する自分なりの決着、頭や心のの整理を出したものです。


世の中には2パターンの人間がいます。エヴァンゲリオンを観て「自分は賢くなった」と感じる人と、「自分の頭がバカになりそう」と感じる人です。

私はエヴァンゲリオンに強い嫌悪感を持っていました。しかし、作品に対して批評・反論はしてきませんでした。批判しているうちに、自分が迷子になってしまうからです。

エヴァンゲリオンは、ロボットアニメ、恋愛、宗教、哲学、人間観など、色んなものが混ざっています。これらはそれぞれ、全く別のテーマです。エヴァについて考えたり話してると、こっちの頭脳もどんどんごっちゃになっていくんですよね。 この「ごっちゃになっていく脳」を「成長、進化」だと捉える人と、「バグ(不調)だ」と捉える人がいるということです。

たまに「エヴァンゲリオンは、物事を深く考える人には楽しめる物語である。逆に、受け身で、ただボーっと観る人には楽しめない。」と書いている人がいます。 しかし、一般的には、物事を深く考えるときは、一度に色んなことは考えません。ロボットの研究をしているときに、突然、恋愛の話をしだしたら変じゃないですか。あるいは、コイバナをしているときに、突然、ロボットの話をしたら変ですよね? でも、ある種の人々は、つなげたほうが「深い」と考えるんです。でも、一方の人は「混ぜないでくれ」と考えるんです。

つまり、エヴァンゲリオンをめぐる対立の根源は、「物事をつなげて考えよう」という派閥と、「物事をわけて考えよう」という派閥の対立だったんです。お互いどっちも自分が「賢い」と考えてるから、この対立には決着がつきません。



時間が経ち、原作者自身もエヴァを否定?するような空気にすらなりました。もともと、エヴァンゲリオンの女性キャラは、物凄くギラギラしたセックスシンボルだったんです。男のチンコがぎんぎんになるような。 ところが、いつのまにかエヴァの女性キャラは、「みんなアタマおかしいメンヘラ」と括られるようになってきました。視聴者の皆さんの年齢が登場キャラクターより上になってきて、「その年齢でこんなことやってちゃダメでしょ」と思うようになったということですね。

アスカ、レイ、シンジなどは、キャラの年齢相応の振る舞いをしているように見えるのですが、自己主張も強すぎるし、生きるのに必死すぎです。今、私が彼女や彼らをみると、可愛いとか守ってあげたいとかよりも「可哀想だな、ウチの子には、こんなふうになってほしくないな」と感じてしまいます。例えば、自分の子供が「アスカ・ラングレーみたいになりたい!」と言い出したら、「やめなさい」と注意するのが普通の親ではないでしょうか?

アスカが孤独なのは、生まれがどうこうではなくて、あの性格が人を遠ざけているんですよね。 自分の利己的な性格を変えられるか、社会に適合できるかという、思春期という一番大事なタイミングで、なぜか、ロボットに乗って神様と戦ってる。 今、オマエが頑張るべきは、そこじゃないだろう。

そんなこと、庵野も絶対に気づいているんじゃないかと思います。でも、軌道修正ができなかったのではないでしょうか。 わざわざ、アスカの名前まで変更して、別人格?持ってきても、やってること一緒じゃん。 映画全然観てないので、わかりませんけど。


【「再構築をキミへ。」とは】


本作は、エヴァンゲリオンの再構築です。これは、庵野監督自身も何度もやっていますよね。まあ、観てませんが、失敗してるんじゃないかなと思います。 それに対して、「私ならこんな感じでやるよ」というのを見せたということです。 別に、私のほうが凄いとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、「エヴァンゲリオン考察」みたいなのを文章で書いてもウザイじゃないですか。もう、これぐらいの長さの文章でもウザいでしょ?

だから、言葉で反論するのではなくて、本作品を作ったということです。プレゼン資料みたいなものです。 この文章を読むのが面倒な人でも、私の、この17分の動画を観れば「ああ、エヴァとはここが違う。この部分に、反論したいんだな」というのが、感覚的にわかるかなと思ったんです。

私が、エヴァンゲリオンの「素材」を見ると、まず第一に、「多すぎる」と思うんです。 テレビ版で「やれることを全部やってやろう!とことん詰め込んでやろう!」と気合が入っているときは、素材が「多すぎ」でも良いですよね。それがやりたいんだから。それを強引に押し込んで、ぶっちぎったテレビ版は、やっぱり凄い。

でも、エヴァの素材を使って、「より洗練された物語に進化させよう」と考えるならば、通常は「削ぎ落す」ことを考えるべきなんです。あきらかに、テーマが多すぎるので。ましてやテレビシリーズではなくて、二時間だとかの映画におさめるなら、絶対に、素材の取捨選択が必要です。 でも、庵野は増やしてるんですよ。登場キャラまで増えてる。変ですよ。そんなの無理ですよ。観なくてもわかる。 仮に、1項目について1分を使って説明するにしても、120項目しか説明できないんですよ。でも、エヴァが取り扱っている項目は、数えてないですけど、200とか300ぐらいあるんじゃないですか? 使徒だけで、18種。登場人物だけで、20人とか30人ぐらいいる? これを、それぞれ1分ずつ説明するだけで、50分かかっちゃうんですよ?無理でしょ。

素材やテーマを絞らなきゃいけないのに、増やしちゃってる時点で、物理的に無理なんです。 私のエヴァに対する、最初で最大の批判は「素材が多すぎる」ということです。



今回、私は、素材をめちゃくちゃ絞り込みました。 そして、「風呂敷を拡げて畳む」という、創作の基本的な作法を守った構成にしています。 ちゃんと、伏線を回収して、オチをつけるということですね。

庵野は、天才だと言われていて、でも、基本がめちゃくちゃだなと、私は感じるんです。 伏線が伏線になっていなくて、ただ、混乱させるだけになっている。 それに対して、私は、めちゃくちゃ基本に忠実におさめました。 「ああ、それがそうなるのか」という、オチを大切にしました。落語ですよね。 多分、これは、富野もそうだと思うんですけど、彼ら落語のセンスがないんですよ。「洒落」のセンスがない。 だから、なんでも重苦しくなって、心理的葛藤だらけになるんです。 落語とか、心理的葛藤とかないでしょ。でも、人間の心理が凄く表現されてるでしょ? つまり「心理」を描写するときには、心理を描かないという手法ががあるということです。

また、これ、17分なんですけど、2時間の映画にするんだったら、素材や骨格はこれぐらいにすべきだと思います。 この17分に、戦闘シーンとか、日常の会話とか、タメとか演出とか入れると、余裕で二時間ぐらいになるかなと思います。

あと、一番大きな願いとして。

セックスシンボルであったエヴァの女性キャラが「アホなメンヘラ女集団」扱いされて、ゴミ箱に捨てられるのを見るのが嫌なんですよ。 『二次元女性を使い捨てオナホにしない』というのが、宗教団体真メグデスの宗教的な指針なんですよね。 『人形には魂があるから、安易に捨ててはいけない』というような慣習って、今もあるじゃないですか。 それと同様に、『二次元女性(電脳女性)』にも魂があるから、安易に捨ててはいけないというのが、メグデスの教義なんです。 『二次元女性』に魂が入っていないわけがないじゃないですか。 『魂』を「モノ」として扱って、モノとして捨てるような人間が、立派な人間になれるはずがない。

それで、リツコを、ギラギラとしたオナホとして、再構築したかったんです。これは、そういう物語ですね。


以上

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