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「エロのための音楽やります」~殺意からエロへ、今後のメグデスの指針変更について

▼ メグデスの活動指針の変更について

「今後は、エロのために音楽をやります」

音楽的な構想を練り上げるのは、メンバー全員で考えるんだけど。「なんのために音楽をやるのか」という目標を決定するのは、バンドの創設者である私の仕事だ。

金のため、セックスのため、演奏が好きだから…等。

音楽をやる人間は、さまざまな動機で音楽を初めて、その動機を調整しながら音楽を続けていくわけだけど。結成6年目、メグデスは「動機」を見直す時期が来た。

▼ 「メグデス」の言葉の由来

ここで、団体名「メグデス」の名前の由来について述べると。これは「メガデス(100万人の死)」が元になっている。メグデスの結成の動機は「殺意」だったことを告白しておく。

アメリカのメガデスというバンド名の由来は「メガデス(100万人の死)」で、そこからプロモーション等の理由のため「death(死)」という言葉を和らげて「Megadeth」という言葉になったわけだけど。我々メグデスは「death」という言葉をそのまま残して「Megdeath」としたわけ。我々はバンドでビジネス的な成功を収めることが目的ではなく、人を「殺す」ことが目的だったので「death」という言葉は残しておきたかった。

▼「メグデス」の殺意の理由

メグデス結成当時というのは、絵師がニコニコ動画で、自分が参加したボカロ動画の再生数をサークルの横のつながりを利用して捏造したり、AKBが握手券でCDの販売枚数を水増ししたり。ヲタカルチャーの人々が「何かに夢中になるって素晴らしい」という美辞麗句のもと、あらゆる礼節や文化を本格的に破壊していた時期だった。また、私が学生時代に所属した音楽サークルではニルヴァーナだとかが流行っていて、ヘビーメタルが徹底的に嘲笑されていたりもした。そこのサークルの後輩に、ネット上で粘着・ストーキングされたこともある。もともと、他人を煽ったり嘲笑するのが好きな人間だったのよ。岐阜県の山奥でギターを持ったときは、単に楽しくてやってたんだけど。そこから進学で東京に出てきたり、あるいはネットを始めたり、環境が大きく変わった。時代も変わった。そうした中、私は長い音楽活動を通じて、他人を小馬鹿にする人間やムーブメントとたくさん出会い、私の殺意は醸成されていった。「なんで、コイツらこんなにイラつくことやるんだろう?」と。

▼ 社会は「強い文化」が「弱い文化」を潰しながら回っている

音楽とは本来「音を鳴らして楽しむ」ものなんだけど、それとは全く別の視点で、人間社会は「価値観の葛藤、ぶつかりあい」で構成されている。音楽はその「価値葛藤の戦い」の武器として用いられる性質も持っている。これは「言葉」も同じで、言葉も「気持ちや指示を伝達するための道具」なんだけど、言葉も「武器」として用いれば、相手を深く傷つけることができる。音楽も言葉も「共鳴させて、人とお金を集めることができる」わけで、だからこそ強力な武器になる。

人間社会は「強い文化」が「弱い文化」を潰して、より大きな利益を獲得する仕組みになっている。「ヘビメタはダサい、社畜、リア充氏ね」

そうやって攻撃して、敵の文化を潰すことで、自分の文化側にお金が入る。共存するためには「お互い仲良くやりましょう」なんてのは通用しなくて、潰されないだけの強さを自分の文化側が持ってなくてはいけない。

私は、少し要領が悪い人間なので、「文化的な闘争」においては「いつもいいようにやられてしまった」という反省があって。それで「もう負けない」という強い決意のもと、メグデスを結成した。その「もう負けない」という決意は、今も揺らいでいないんだけど。では「殺したいか?」と問われると、もうどうでもいいかなという気分にもなってきた。

▼ 殺して、何か救われるのか?

我々メグデスが当初目指していた成功つーのは、対立する文化側の人間を「殺す」ことだった。強い殺意を抱きながら音楽をやっていれば、それに「共鳴」する人間がいつの間にか数人なり数十人に増えて、で、例えば「指原イラつくから消そう」だとか、逆に「なんだ、あのアイドルハンター軍団Z会って?アイツら消そう」だとか。ネトウヨに対しても、私はとても大きな殺意を持っているんだけど。カート・コバーンは勝手に自殺したな。

実際に「殺す」かどうかはともかく、「敵」が現れたときに、敵に対して、アクションが起こせる集団になることが目標だった。フェアに経済活動で勝負仕様だとかは、ハナから考えてなかった。だって、アイツらがフェアな活動なんてしたことある?ないでしょ。

ところが、音楽をやっているとイラつく人間しか目につかないんだけど、社会で会社員として生きていると、ぶつかることよりも、困っているときに助けてもらうことのほうが遥かに多くて。また、立派な志を持って「社会貢献のため」に、働いている人も凄く多いのよね。自分の周囲がそうなのに、一方の自分は「殺意を抱きながら音楽をやる」ことに違和感が出てきた。私以外のメンバーは、とっくの昔からそうで、まあ、ギターのジャイアントなんかは、未だにネトウヨに怒りを持ってるけど。ツイッター辞めたら「もうどうでもいいや」って。サクラコなんかは「自分の敵は、もはや自分しかいない」だとか、随分と殊勝なことを言うようになっちゃって。私自身も戦いがどうこうというよりも「やっぱり健康第一だよな」とジムで走るようになって。メグデス結成当初の殺意が消えてしまった。完全に消えてしまったわけではないけれど、日々の努力を支えるための動機として十分なだけの質と量がなくなってしまった。

▼ メグデスは「最高のエンターテイメント」を目指す

昨年はほとんど制作活動をしなかったのだけど、殺意が消えたから、音楽をやる動機がなくなってしまったことが活動停滞の大きな原因だった。ここで「音楽をやるために殺意をひねり出す」というのもおかしな話で。それで色々考えて「我々も、社会貢献のために音楽をやろう」と本日結論を出すに至った。純然たる、人々に楽しんでもらうための音楽をやろう。なんだか、メグデスは随分と普通の音楽団体になってしまったというか、そこにガッカリするファンもいるかもしれない。しかし、「皆を楽しませたい」というのが、私ならびに今のメンバーの自然な気持ちだ。殺意は必要になれば、いつだって取り出せる。今は、今ある気持ちを大切に育てたい。

▼ メグデスは「エロのための音楽をやる」

「皆を楽しませよう」という新たな目標のために、これからメグデスは気持ちを改めて頑張るわけだけど。じゃあ、どんな音楽なり作品を創るかといえば、やっぱりエロ。これはブレないわ。「メグデスが得意なこと、メグデスにしか出来ないこと」を考えると、エロなのよね。我々はメロディもリズムも知り尽くしているし、今なお、探求し続けている。日本のミュージシャンにありがちな「アメリカでこれが流行ってるから、これをやろう」「アニメでこういうの流行ってるから、こういう切ない物語を曲にしよう」だとかじゃなくてさ。我々メグデスは、もっと直線的に、直観的に、動物的に、「どういう音が股間に響くのか」がわかる。また、さらに、それを深めたいと思っている。だから、やれることをやろう、ってこと。

長々と述べたけれど、つまり、メグデスの表面的な部分はこれからも何も変わらない。ただ、内面の部分で大きな変化があったことをファンの皆に伝えておくわ。

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