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女子柔道最高だった!/高藤選手の柔道は最低だった!


いつもニコニコ元気なマンコ、IQ127の絶対美少女ミッキーです。色んなわだかまりがあったけど、開会式で、世界中の選手の美しい笑顔を見て「オリンピック応援するぞ!」という気分になりました。ということで、観戦したんだけど、男子柔道観て萎えた。もう観ないわ。なんだそりゃって感じ。こんなカッコ悪い勝利のシーン、初めて見たわ。他の試合は物凄い熱戦だったから「最近の柔道がこういう感じ」というわけでもないと思うの。高藤の試合だけ「なんだこりゃ」って感じだった。


■■ 高藤選手の戦い方について、世界はどう思ってんの?


色々調べたら、高藤選手は前回が銅メダル。その悔しさをバネに、「絶対に金メダルを獲る!」という強い決意を持って、最初から「地味な柔道」をやるつもりだったみたい。そのために、凄い特訓したらしい。目立ちたがり屋さんだから、絶対に金メダル獲りたかったんだってさ。

まあ、気持ちはわかるけどさ。単に金が欲しい、名誉が欲しいという、その個人の欲望丸出しの柔道を東京オリンピックという舞台でやるか。

私さ、「努力しました、くやしさをバネに」とか、どうでもいいのよね。オリンピック選手が毎日、どれくらい努力してんのかわかんないけどさ。でも、一日は24時間でしょ?アマチュアなら、働きながらやるわけよね?「頑張ろう!」と思って何かに取り組んでる人の努力量って、そんなに変わんないんじゃない?オリンピック選手になった人の努力量が、私の倍だとか全く思わない。だって、一日は24時間だもん。

努力なんて、あるレベル以上の人間はみんなやってんのよ。じゃあ、その上で、大舞台に立つことができた人の使命つーのは、「芸術を見せること」だと思う。これは、みんなが心がけてることだと思うのよね。音楽でも、将棋でも。そういう感覚からすると、高藤選手の動きは「浮いて」見えた。何やってんだコイツ?って感じ。


■■ 高藤選手は何も悪いことをやっていない。ただ、つまんなかっただけ


高藤選手はルールは何も破ってない。柔道という競技に対しても、何も失礼なことはやってない。それはわかってる。あくまで、その上での批判なんだけど「それ、柔道なの?」って感じ。

オリンピックで優勝したってことは、すなわち「高藤選手の戦い方は素晴らしい」ということになるわけだけど。じゃあ、柔道やってる子みんなが、高藤選手のように「相手に指導をとらせる戦い方を追求しよう!」ってやりはじめたら、柔道の文化、ぶっ壊れちゃうじゃん。これを、柔道の文化を何も知らない外人がやったならともかくさ。日本人が率先して、そんな戦い方を「日本人として世界に見せる」という構図が、最高にダサい。

私が見た限り、他の選手は誰も「相手に注意をとらせよう」なんて戦い方してなかったと思う。だから、高藤選手は勝てたんだろうけど。じゃあ、他の選手が反省して「よし、これから一本なんて狙わず、日本の高藤をお手本に、注意をとらせることを狙っていこう」って、次のオリンピックに向けて頑張るわけ?もう、そんな柔道、オリンピックから外していいよ。意味わかんない。


■■ 高藤選手の価値は、世界が決める


私は、結果よりも「想い」を重視するタイプだからさ。サッカーのワールドカップで、日本が予選通過するために、後ろでパス回しするような最悪な戦い方したじゃん?ああいうの大嫌いなのよね。なんだそりゃつーか。でも、そういう「勝つために手段を選ばない」という戦い方が好きな人もいるじゃん。むしろ、そういう「姑息な手段」こそが「面白い」と感じる人もいる。

ボカロ界隈もそうだったのよ。再生数増やすために、自分でクリックしたり、集団でクリックしたり、それでランクインして「勝った!」みたいなことやってるガキがわんさかいたの。そういうのを思い出した。音楽業界でもさ、ズルしてチャートに入れたり、賞獲ったりしてんじゃん。「うお!カッコいい、ズルするの最高!」って、そこに興奮してる人間も、もしかしたらいるのかもしれない。でも、私は、そんなことやったら音楽の文化が死んじゃうと思う。

ただ、高藤選手はズルしたわけではないのよね。だから、金メダルを獲得したという結果は、絶対に動かない。でも、この「金メダルの価値」は、世界中の柔道ファンの間で決められることだと思う。日本からすりゃ、そりゃ「やったー!金メダルだ!文句言うなよ。勝ちは勝ちだ。イエーイ!」って言いたいでしょうけど。また、それに対して、公的には誰も何も言わないわよね。「おめでとう、日本」っていうわよ。でも、その言葉の裏に何があるかが重要。

「高藤、マジですげーな。こんな戦い方、全然思いつかなかったぜ」ってみんなが思ってれば、これは素晴らしいわよね。でも、表面的には「おめでとう」と言いつつも「なんだアイツ、あんなの柔道じゃねえよ」って思われてたら、これは良くない。高藤選手みたいな戦い方をする選手が増えれば増えるほど、柔道ファンが減ったり、柔道の地位が下がっちゃう。

私は、高藤選手の戦い方は最悪だと思ったし。それでも、高藤選手を褒めたたえた台湾の選手のこそが「真の英雄、真の勝者」って感じた。


■■ 高藤選手のメダル獲得のシーンは、黒歴史になる


高藤選手の勝ち方は、ルールは破ってないからさ。だから「黒歴史」っていう表現の仕方はよくないけど。でも、高藤選手がメダルを獲得したシーンって、多分、今後あんまり流れないと思う。ダサいから。他の日本人選手のメダル獲得のシーンはさ、「うおおお!日本の柔道!!」って感じの迫力があるし、時代を超えた名シーンなわけだけど。高藤選手のメダル獲得シーンって、昨日テレビで観た人以外には、チンプンカンプンつーか。「金メダルを獲った」っていう業績は、経歴に一行、ポンと追加されるんだけど。ただそれだけ。誰の記憶にも残らないつーか。まあ、記憶には残るかもしれないけど。感動つーより、モヤモヤが残る感じよね。


「東京オリンピック!日本、柔道、金メダル!」


もうさ、こんな輝かしい歴史的瞬間なのに、中身がさ。ホントにがっかり。まださ、高藤選手が、柔道界隈から強烈に批判されたなら良かったのよ。「高藤のは柔道じゃない!」それに対して「いや、あの戦術は素晴らしい!」って激論になったらよかった。その上で、高藤選手が「オレにできる柔道は、これしかなかった!」って主張すれば、そこに「男のプライド」という「ドラマ」が生まれたんだけどね。

ところがさ、今回の反応って「あ…、まあ、そういう勝ち方も、ありなんじゃない?ルールだし。セーフ」みたいな感じでしょ?なんか、そこにはあんまり触れないほうがいいなつーか。みんな一歩退いちゃってる。これは、批判されるより、悪い結果だと思う。

今までの柔道の名選手って、必ず「柔道に興味がなかった子供を、柔道のファンにさせる」ような、強烈なインパクトがあったのに。スポーツってそうじゃん。でも、そこになんか「よくわかんない人」が入っちゃったって感じ。

。まあ、複雑な気持ちだわ。でもまあ、金メダルにケチつけてもなんだし、でも、モヤモヤするし。じゃあ、やっぱオリンピック観るのやめるかつーさ。なんか、そんな感じ。これが、他の競技だったら良かった。でも、柔道でしょう。東京オリンピックの日本の柔道選手なんて、もう、花形じゃん。花形がこれかよつーか。これが日本のオリンピックかよ。これが日本人かよ。


■■ 女子柔道は、めちゃくちゃ最高だった!


女子柔道は、めちゃくちゃ面白かったわ。たたずまいも、めちゃくちゃカッコいい。スピードもあるし。勝利への執念、まなざしが美しかった。ネットでも評判になってるけど、ウクライナのビロディド選手の涙なんて、名シーンでしょう。もうさ、戦ってる姿からオーラをビンビン感じたもん。「美人過ぎる柔道家」みたいな安っぽい話じゃなくて、ホントに気品・気迫があった。今回、銅メダルでしょ。つまり、成績としては高藤選手より下なわけよ。じゃあ、ビロディド選手が「よし、次のオリンピックでは、日本のタカトーのように、注意による反則勝ちを狙いに行こう!」って言ったら、みんなガッカリするんじゃない?それで、女子のみんなも影響受けて、みんなタカトーみたいな戦い方始めたら、もう、本大会のような感動は消し飛ぶわよね。日本の柔道が、他国に悪い影響を与えたと、私は感じちゃうな。

よく、モンゴル人のお相撲さんが、横綱にあるまじき「振る舞い」をして問題になってるけど。別に、文書化されたルールを破ってるわけじゃなくても、なんか嫌な感じするじゃん。それを日本人がやったみたいなさ。なんか、日本の男って、姑息な手段が好きよね。なんかもう、そういうイメージが私の脳裏に根付いちゃった。サッカーのワールドカップの、日本の姑息なパス回し、今でも嫌な記憶として残ってるもん。だから、ベルギーが勝った時は大喜びしたわ。死ねよ、日本って思った。

あのときも「勝てばなんでもいいじゃん」って言ってた人、たくさんいたけどさ。でもまあ、日本のサッカー人気って、なんとなく、あのあたりから尻すぼみになったんじゃない?今、話題はもう、野球の大谷一色じゃん。神様はよく見てるって思うのよね。まあ、ウチ、宗教団体だからさ。そういうこと考えちゃうのよ。

「言語化されてないルールこそ重要」つーさ。

勿論、それを破ってもいいのよ。なにか、大きな哲学があって、そのタブーに踏み込むという選択や勇気はあってもいい。でもね「勝ちたい、金が欲しい、有名になりたい!」とか、そういうごく個人的な、安っぽい気持ちでタブーに踏み込むと、バチがあたるような気がする。私って、迷信深いの。意外とね。

だってさ、もしスポーツがホントに「勝てばなんでもアリ」というだけのものだったら。世界中のスポーツ文化は、そうなってるはずなのよ。でも。どのスポーツ文化にも、必ず「人間とは、こうでありたい!」という、もっと大きな「願い」があるのよ。これは「飾り」じゃなくて、ホントに、何かそういう「魂」が、スポーツには宿ってると思うんだけど。音楽にもあるもん。「ブルースはこうだ!」「ジャズはこうだ!」っていう魂があるわよ。「指が速く正確に動けばいいじゃん」なんて考えて演奏してる音楽家は一人もいない。




▼ ワザあり取っ手から逃げるような戦い方は、腑に落ちるんだけどね。














私にとってのオリンピックに対する気持ちは、ここで折れた。なんか、溝ができちゃった。引き続き、選手の健康と健闘はお祈りするけど。でもまあ、「勝てばなんでもいいじゃん」みたいな話は聞きたくないッス。


以上

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