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ミッキーの実家公開

私の実家公開、といっても、完全に公開はできないけど。

私の父方の家系は物凄く貧しい農家で。

父親が子供のころ、学校の給食費が払えなくて。

それで、父親の父親(おじいちゃん)と一緒に、神社のお賽銭箱をひっくり返して。

それで、給食費を払っていたの。

まあ、そんな感じだけど、今は「教職、先生」になる人が多いわね。

「貧乏人は勉強をしろ」というのが、我が家の教えで。

勉強ってのは「元手がほとんどかからないのに、安定した大きな収入に化ける」って考えがあってさ。

なにせ「紙と鉛筆」だけあれば、勉強はできる。

教科書は学校で貰えるし、図書館の本は読み放題でしょう。

父親は大学教授だし、書道の偉い先生もいるわ。

私も、大学院を出ているわね。専攻は「教育社会学」。

母親は貧しい家系ではないんだけど、やはり「教職、先生」が多くて。

小学校の先生や、着物の着付けの先生がいる。

そういうところで「家系の思想的にマッチしていた」から結婚したのかもしれないわね。

父親は結婚当時、恐ろしく貧しかったから。

普通の家系であれば、結婚は断るのではないかと。

ただ、熱心に勉強していたので、そこを評価してもらったのでしょう。

▼ 燃えてなくなってしまった「大丸屋」。これがハット家の本尊だった。

長く続く宿屋で、主人であるおじいちゃんは、景観を楽しみに来た知識人や芸術家などのエリート層と交流があった。おじいちゃん自身は全く学がない人だったけど、泊り客である上層との交流から「学ぶことは大事だ」と感じたみたい。

おじいちゃんは書道も達筆で、村の中では「最も賢い人」として大きな発言権を持っていた。

ただ、どうしておじいちゃんがそこまで大きな力を持っていたのかは、父親にもよくわからないらしい。ただ「ハット家の人間だ」と言えば、なぜか村の人が融通を利かせてくれたらしい。

おじいちゃんから私まで、すでに100年の歴史があるわけだけど、ハット家の考え方は脈々と受け継がれているわ。私が説教臭いのも「教育者家系」の血筋でしょうね。

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