新作【艦これ物語動画】「提督の妻たち ~ オナホドール・オブ・ユー」
いつもニコニコ元気なまんこ、IQ127の絶対美少女ミッキーです。
ひさびさの大作!
気合入れて作ったわ。
楽しんでほしいわ。
「提督の妻たち~オナホドール・オブ・ユー」
■■ 構想二年「提督の妻たち」は香港映画を見て、ようやく構想が固まった
「ヤクザはエロい」という定義がある。
ビートたけしの映画でも、大抵、レイプシーンが入ってる。
ならば、『艦娘でヤクザ映画を作ってはどうか」という構想が、私の頭の中に浮かんだ。
しかし、私は、映画が好きなわけでも、ヤクザが好きなわけでもない。
そのため、漠然としたイメージは浮かんだものの、具体的にどう仕上げれば良いか、案がまとまらなかった。
いつもは、とりあえず制作を始めれば、なんとなく物語や台詞が浮かぶのだけど。
しかし、本作については、デモを三本制作してみたが「演出」や「音楽」のイメージしか浮かばなかった。
『エロ動画』としては、別にこれでも良いが『物語』としては、成立していない。それで放置していた。
そして、約二年が経過した。
ある日、パートナーが「金は出してやるから、映画を観て来い」と言った。
パートナーは香港人で、超映画好き。毎日、延々と映画を観ている。ちょっと変わっている。
そんな妻が「これは凄い」といって、新作の映画を勧めてくれた。それが「トワイライト・ウォリアーズ決戦!九龍城砦」だ。
■■ セックスだけで伝える。
「トワイライト・ウォリアーズ決戦!九龍城砦」は、カンフー映画だ。
大したシナリオはなくて、ただ、ひたすらカンフーでの戦いが続く。
しかし、この「戦い」が、本当に密度が濃くて、『戦いの中に物語がある』のだ。
私は、この直前に、「ガンダム ジークアクス」を観ていたのだが、全然『戦いのレベル」が違う。
ガンダムの場合は「なんか操縦方法がわかっちゃった!」「いけえ!」バーン
おしまい。
一方、「トワイライト・ウォリアーズ」は、リズムと、仕掛け、そして「男の色気」がある。
カンフー映画というと、馴染みがない人々だと、「サブカル男が好む、ブルース・リー」のようなイメージがあるかもしれない。
しかし、映画館は女性客も多い。香港では、カンフー映画は「イケメンの登竜門」のようなところがある。
なので、戦闘シーンの「仕草、表情」を通じて、「男の魅力」を、ぐっと引き出す。
しかも、この「トワイライト・ウォリアーズ」の戦闘シーンは、どうやら、「日本人」の演出家が、監督しているそうだ。
確かに、北斗の拳や、ドラゴンボールのようなダイナミックなシーンが含まれている。
しかし、それを生身の人間が、迫真の演技でやるわけだから、凄まじいカッコ良さ。
そして、「男っぽい」のだけれど、戦いに「色気」がある。これが言語化できない。
K-POPの「ダンス」を、戦闘に置き換えたのが、香港の「カンフー」かもしれない。
「トワイライト・ウォリアーズ」を観て、ハッと気づいた。
「必要なのは『物語』じゃない!絵と仕掛けとリズムだ!」
物語は、観客を「没入」するための「仕掛け」でしかない。
最後は、絵や、表情で、感動させる。
「ガンダム」は、とにかく台詞が多い。それが「売り」なのだろう。
しかし、戦闘シーンでの動きは、単調だ。
邦画のアクションは、いつも短長だ。
漫画もそうだ。登場シーンの「ポーズ」はカッコいいのだが、戦闘そのものは、地味であることが多い。
北斗の拳やドラゴンボールも、派手なように見えて、実は、ほとんど動きがない。
その場から、一歩も動かずに、ただひたすら時間が過ぎることも多い。
日本人は「台詞」で感動させたいという意識が強いのだと思う。
香港映画は真逆の価値観。「台詞」は、出来る限り最小限。
そこから先は、人間の動きと表情で、感動させる。それが香港流。
ブルース・リーの映画も、ほとんど喋らない。
日本でも、「歌舞伎」は、香港的な感覚に近いかもしれない。
日本は、「能」などでは、全く喋らないし、表情すらない。
日本人も、もともとは「しゃべり過ぎない、語り過ぎない」ところに「美学」を持っていたはずだ。
しかし、時代の流れで、物語が「説明的」になったのかもしれない。
それはそれでよい。私も、喋るのは大好きだ。
しかし、本作「提督の妻たち」で必要なのは、まさに「しゃべり過ぎない、セックスで見せるアプローチ」ではないかと思ったのだ。
「台詞を減らすことで伝わる色気、緊張感、命の重さ」があるのではないか?
本作が、「女の色気」が伝われば幸いである。
(「提督の妻たち~オナホドール・オブ・ユー」監督:ミッキー・ハット)
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