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キャラクター設定 (IA GILLAN / IA PLANET)

MOVIE(未発表曲)

​※ 動画は「カスタムメイド3D(KISS)」で制作した非売品です。

AI ILLUSTRATION

HISTORY OF IA GILLAN (SIN-MEGDEATH)

​メグデスのイアの歴史 ~ 母から娘へと継承されたブルースの魂

メグデスにおいて『イア』は、メグデスのオリジナルキャラクターである『イア・ギラン』もしくは、その娘である『イア・プラネット』を指す。

ネット上のボカロ界隈における『イア』や、YAMAHAの商品VOCALOIDのキャラクターである『IA -ARIA ON THE PLANETES-』とは、連動しつつも全く異なる文化的背景を持つ。

思想、芸術、法律、風習が複雑に錯綜する2010年代の状況を鑑みるために、ここ『メグデスのイア』の歴史を記す。


■■ 第一章 夢を追いかけた「氷河期世代の若者」が『初音ミク』にハマり、人生を棒に振る

メグデス創始者のひとりである、ジャイアント・シュナイダー(g)は、初音ミクを2007年の発売月に入手した、熱心な『VOCALOID(通称:ボカロ)』のユーザーであった。そして『プロのミュージシャン』を目指して、独学で作曲とギターの学習を続けていた。

東京で、社会人を続けながら、ボーカルを探し、レコーディングをし、デモ音源を制作して会社に送るというのは、当時のアマチュア・ミュージシャンにとって、非常にハードルが高い問題であった。ジャイアントはフリーターや派遣社員を続けながら、知人をたどってボーカルを探した。

時には、MTR(録音機材)を担いで、「デモのレコーディングで歌ってください」と、池袋の路上でナンパ行為のようなこともしていた。

そんなとき、発売されたVOCALOID『初音ミク』と、動画投稿サイト『ニコニコ動画』から発生した「ボカロブーム」は、ジャイアントにとって、一筋の「希望の光」であった。

音楽に没入し、「すでに人生を棒に振った状態」であった、ジャイアントは、それでも『奇跡』を信じ、VOCALOID『初音ミク』とDTM機材一式を購入し、『ニコニコ動画』へ投稿を始めた。2007年頃は、まだ音楽が「売れていた」時代であり、また、サブカル隆盛していた。そのため、ジャイアントのような「夢を追いかける氷河期世代の若者」は、それほど珍しくなかったのではないかと思われる。

■■ 第二章 なぜボカロPは『音楽』が上達しないのか?

「いつかプロになる」という夢を持ったジャイアントが、『ニコニコ動画』への投稿を開始して、数年の月日が経過した。ボカロを利用する作曲者(通称:ボカロP)が、プロとなり脚光を浴びることも珍しくなくなってきていた。

しかし、ニコニコ動画上で、熱心に投稿するジャイアントの人気は、全く鳴かず飛ばず。また、そもそも作曲のレベルも、ギターのレベルも、社会人になってから、いっこうに上達の気配がなかった。

 

ジャイアントの『音楽レベル』が上がらなかった理由は、色々考えられる。

そもそも、氷河期世代の当時の労働時間は非常に長かった。

当時のジャイアントも、帰宅が、深夜12時を回ることも珍しくなかった。

時間も体力も、大きく消費していた。

しかし、労働時間の長さだけが、『音楽レベル』が上がらなかった理由ではない。

『自己責任』によるところも大きい。

「ボカロ文化」は、いわずもがな「ネット文化」の中にあった。ところが、氷河期世代が生みだした「ネット文化」は、巨大な「消費者文化」であった。アニメ、ゲーム、ニコニコ動画、それらのコンテンツを大量に消費しないと「ネット上の会話(コンテクスト)についていけない」ような状態にあった。

「コンテンツを消費しないと、会話に入れない」という現象は、2025年現在も、存在する。

このような状況では「コンテンツが楽しいから消費する」というよりも、「孤立したくないからコンテンツを追いかける」という心理状態も発生する。

ネット普及前の時代であれば、『孤独』な状態から抜け出すには、実際に人と会うしかなかった。

つまり、相手の都合がつかなければ、我慢するしかなかった。これにより、孤独に対する耐性が生まれる。

しかし、ネットが普及した以後では、SNSを開けば、孤独から抜け出せてしまう。

結果として「ネットがあれば、一人でいることには耐えられる。しかし、ネットが遮断された、完全な孤独に対する耐性は弱い」ということになる。

そして、ネット依存が始まる。ネット依存下では「ネット上の会話についていけない」というのは苦痛である。

会話についていくための、コンテンツ消費が始まる。

事実を述べよう。

当時、ジャイアントは、懸命に「音楽(という名のボカロ)」をやっていた。

しかし、その内訳の8割ぐらいは「ネットで遊んでいた」だけなのだ。

このような状況下で、「プロフェッショナル」と呼べるような音楽的技術を身に着けることは、到底、不可能である。

しかし、『ネットやPCで遊ぶことが、クリエイターへの近道』だと勘違いした「氷河期世代の若者」は、当時、それほど珍しくなかったのではないかと思われる。

■■ 第三章 幻想と妄想に溺れた「氷河期世代のボカロP」たち

当時の状況を鑑みると、ボカロが引き金となって発生した、2010年頃の『空前のDTMブーム』は、「氷河期世代の若者」の「巨大な勘違いと妄想」によって支えられていたのではないかと思われる。

 

・「夢は信じれば叶う」という幻想

・「ネットで遊んでいたら、好きなことでプロになれる」という妄想​

こうした幻想や妄想を抱きがちであった「氷河期世代の若者」は、他の世代と比較して愚かだったのか?

そうだとも言えるし、そうでないとも言えるかもしれない。

インターネットの普及や、PCのソフトウェアの急速な発展、そして「団塊世代の豊かな両親」の資金援助により、「氷河期世代の若者」は、莫大な知識と、広範なスキルを手に入れた。

氷河期世代には「絵も、音楽も、Office関連のソフトの操作全ても、PCの自作も、ガンプラ制作も、外国語も、全てできる」という人々が、少なくない。様々な知識やスキルを身に着けているという点では「賢い人々」と言える。

 

その一方、「氷河期世代の若者」は、賃金の低さと、労働時間の長さ、また、社会文化の「ヲタ化」によって、「閉鎖された環境下」にあった。情報の入手先が『ネットだけ』になり、現実から乖離し、視野が非常に狭くなった。

 

「視野が狭い」というのは、率直に言うと「騙されやすい、流されやすい」ということである。

ネットには様々な言説が流布するが、そうした言説に、一番大きく、右往左往したのは、『氷河期世代』であると、推測する。2010年頃の、ボカロブームと同時期には「嫌韓・嫌中」、「韓流」、「ネトウヨ」など、政治的にもさまざまな『ブーム』が発生する。これらの、さまざまな『ブーム』を支えていたのは、氷河期世代だと断定できる。

なぜならば、氷河期世代より上の世代は、ITリテラシーが低く、SNSに触れる人数の割合が少なかった。

また、氷河期世代より下の世代は、人数がそもそも少ない。また、すでに価値観が分断されており、まとまった『ブーム』を引き起こすだけの吸引力を持たない。

つまり、2010年当時で言えば、ネット上でなにか『ブーム』が発生したとすれば、それはすなわち「氷河期世代が火をつけたもの」と解釈しても、差し支えないだろう。

「答え合わせ」が始まった2025年の現在であれば、「あれも、これも、全て、政治権力によって、情報が操作されていたのではないか?」と考えることもできる。しかし、2010年当時は、情報が錯綜していた。

誰が情報を操作し、誰が判断を操作されているのか、「なんだかよくわからない」という状況であった。

 

当時、正しいと思っていたことが間違っていたり。

あるいは、​間違っていると思われていたことが正しかったり。

2010年頃の『ネット言説』は、そういったものが、非常に多いと感じる。

■■ 第四章  メグデス覚醒『ニコニコ動画』上の嘘に激怒するー「100万人に死を」を標榜

「プロのミュージシャン」になることを夢見ていたジャイアントも、会社員として社会経験を積むうちに、少しずつ、現実を見ることができるようになっていた。

フリーター時代よりも、上下ともに、はるかに広範な人々と交流を持つようになった。また、会社員として「ビジネスの構造」を把握することで、広い視野を持てるようになった。

中年になってから行った『転職活動』も、ジャイアントの知見を深めることになった。

『ミュージシャン』や『クリエイター』と呼ばれる人々が、実際のところは『努力』ではなく、「実家の経済力、コネ」に大きく支えられていることも、実感として理解できるようになっていた。

 

こうした『現実への目覚め』も、「氷河期世代の若者」の多くが「氷河期世代の中年」になるプロセスにおいて、自覚・体感した「諦念・絶望」かもしれない。

もしかしたら、江戸時代~昭和初期の人々は、階級差・身分さから発生する、この類の「諦念・絶望」を、もっと早い段階、10代後半ぐらいまでに自覚・体感したのかもしれない。しかし、「氷河期世代の若者」は、ハードウェアとソフトウェアの進化によって、自身のスキルが水増しされたり、取り巻く環境が、日進月歩で進化していった。そのため、自分自身が「なにができて、なにができないのか」という見極めが、他の世代よりも、大幅に遅れた可能性はある。

「もう、プロのミュージシャンになることはあきらめるか」

2016年の、ジャイアントは、PCの画面を見つめながら、「投了直前の棋士」のような心境になっていたという。

「夢をあきらめる」と言うことに対して、ただ、ひたすら「心の整理」に時間を費やしていた。

莫大な時間とお金を費やしてきた「音楽でプロを目指す」という人生の方針を取り下げるのは、勇気がいることであった。

「プロをあきらめる」ことを考えながらも、ボカロ界隈の人々と交流を続けていたジャイアントは、ショッキングな事実を知る。ジャイアントが投稿を続けていた『ニコニコ動画』の『人気ランキング』が、「金とコネ」で操作されているというのだ。

それはこういうことである。

ボカロは、DTM機材をそろえるのに、非常に高額な投資が必要である。つまり、ボカロで遊んでいる『若い子』は、富裕層に生まれた人々なのだ。

また、アニメ・ゲームを無制限にたしなみ、そのブームにいち早く反応しイラストを投稿する『絵師』も富裕層が極めて多い。先述したが「氷河期世代」の多くの人々は、「低賃金で、労働時間が長い」のだ。にもかかわらず、放映されているテレビアニメを全てチェックして、かつ、オンラインでゲームまでして遊び、さらに「趣味でイラストを描いている」というのは、つまり「働いていない」ということである。

この「富裕層のボカロP」と「富裕層の絵師」が「富裕層が集まるクラブ(クラブに遊びに行って、酒を使って飲めるのも富裕層)の、ボカロDJイベント」等で知り合い、双方が結託して、「ボカロ動画」の再生数やイイネを買うという、情報操作が行われていた。

2025年現在であれば、ネット上の再生数やイイネが「金で買える」というのは、周知の事実である。しかし、2016年当時のジャイアントにとっては、「まさか、そんなことが…」という、青天の霹靂であった。

「信じていたものに、裏切られた」

ジャイアントは、そう感じたという。

それまでジャイアントは、ネット文化というのは、自分と同じような立場の人々が、協力して作り上げているものだと理解していた。それは、ある一面では正しい。しかし、それを操作している「富裕層の人々」がいる。

さらにまた、運営している『ニコニコ動画』自身も、カドカワと結託して、ランキングを操作しているという噂もあった。

社会の全てが、一部の人々の「金と嘘」によって、操作されている。

夢をあきらめ、そして、夢を託していた「ボカロ文化」にも裏切られたジャイアントは、「全員殺してやる」と考えた。

それまでは、ネット文化の潮流に乗り、「好きなことで成功して、金と女を手に入れたい」と、お花畑のような思考回路であったジャイアントが、社会に対して『殺意』を抱くようになった。

その『殺意』は『強い思想』へと変化した。

そして、その『強い思想』を、芸術活動によって磨き、表現したいと考えるようになった。

この流れから、ジャイアントは『ボカロP』として活動することをやめ、団体名(サークル名)を掲げて、楽曲を投稿するようになる。

サークル名は『MEGDEATH(メグデス)』。「100万人の死」を意味する「MEGADEATH(メガデス)」からとってつけられた。

■■ 第五章 『社会のルール』に対する不信感から『表現の自由』を掲げる

ジャイアントが創立したサークル『メグデス』は、『淫語ボカロ』を標榜した活動を、2016年11月からスタートする。

メグデスは、それまでのボカロが持つ「アニメ・ゲームを土台とした、キラキラした世界観」を破壊すべく、生々しい「淫語」を歌詞に用いた作詞・作曲を行うようになる。

メグデスの活動内容は、一見すると「ジョーク、ウケ狙い」に見えたかもしれない。

しかし、その根底には「夢をあきらめた氷河期世代の男が発する、社会に対する冷たい殺意」があった。

YAMAHAのVOCALOIDには、利用規約がある。

そこには「公序良俗に反する行為で使用してはならない」というのがある。

しかし、先述したように「ボカロブーム」は、ニコニコ動画上の『情報操作』の上に、ビジネスがあった。

 

「公序良俗とはなにか?」

企業や一部の人間が、ニコニコ動画やSNS上で『情報操作』をすることは「合法的なビジネス」で、言葉や歌でセックスを表現するのは「違法」になるのか?

また、商品を製造している『企業』が『法律』のような社会ルールを決定することにも、違和感があった。

仮に、VOCALOIDの製造元であて、YAMAHAが「ボカロ上の作詞・作曲」に対して、法的な権力を持つことができるならば、これは大変な問題になる。

どういうことか?

 

VOCALOIDは『道具(ツール)』である。

道具の製造元が、道具の利用者に対して『利用制限』をかけられるのであれば、道具の製造元は、政治家よりも、はるかに強い権力を有することになってしまう。

例えば、AdobeがPhotoshopやillustratorの利用規約を掲げて「美少女のヌードを描くことは公序良俗に反する」と主張すれば、国会の議論を経ずして、社会から『美少女のヌード』を抹消できることになってしまう。