母の葬式/舞浜リゾート/「艦これ」企画撃沈
こんにちは、いつもニコニコ元気なマンコ、IQ127の絶対美少女ミッキーです。先日ブログでもお伝えした通り、母が危篤でした。それで亡くなり、おかげさまでつつがなく、無事お葬式が終わりました。
■■ 母の葬式
葬式行くときは憂鬱だったけど、久しぶりに親戚の方々とも色々話せて、割と楽しかった。でもまあ、長時間いると父親と喧嘩になるだろうなと思って、さっさと帰ってきた。葬式の日に喧嘩したくないもの。昨年会ってさ、遺産の話だとかで大喧嘩したのよね。金額で揉めたわけじゃないのよ。私は「何もいらない」って言ったから。でも、父親の話がしつこくてさ。何がどうしつこかったのか、もうよく覚えてないけど、とにかく「話すと喧嘩になる」ってことだけわかってるから、距離を置いてる。父親も主張が強いからさ。私にとって「父親と仲良くなる=父親の思想に従う」なのよ。でも、私には私の主張があるし、父親の主張は間違ってると感じるの。距離を置いていれば「お互い、そういう考えもあるよね」で済むけど、近くなりすぎると喧嘩になんのよ。
▼ 私は新興宗教やってるけど(宗教団体真メグデス)、母親のお葬式は仏教よ。信仰は自由だし、場を乱すつもりも全くない。
母親はまだ60代だったのかな?仕事やめて3年ぐらいで亡くなった。私は結構、薄情な人間でさ。大学進学で東京に出てから帰郷したのは10回ぐらいかな?母親に電話するときは、いつも「お金をせびる」話ばかりでさ。だから、母親も私から電話かかってくるの嫌がるわけよ。私は大学卒業して、経済的に完全に自立するまで、かなり時間がかかった。自立できてからは電話することも一切なくなってさ。
危篤のときに会いに行ったんだけど、母親は全然普通に話せてね。「アンタが自立して、本当に安心した。もう、来なくてもいいからね」と言われて。これは全然、悪い意味じゃなくてさ。「自分のことに集中しなさいね」という意味なんだけど。まあ、私と母親の関係ってそんな感じ。母親は本当に「仕事一筋」の人でさ。そして、稼いだお金は全部、私の「学費、仕送り」に回していたわけ。私が自立してからは、ようやく稼いだお金を「自分のため」に使えるようになったわけ。それまでは、我が家はいつも「お金」で揉めてたからさ。でも、死ぬ前は「安心」して生きてたと思う。危篤のときも、満足そうだった。
母親は、本当に気合の入った人でさ。綺麗だし、いつもバシっと洋服決めてね。外車乗り回して、カッコいいわけ。ホントに死ぬ3か月前、初めて東京に遊びに来て、そのときはきちんと二本足で歩いて、女性として綺麗だった。おばあちゃんって感じが全くないのよ。自分の母親を「美魔女」みたいに言うのも変な感じだけど、老けないの。それが、危篤の時に会ったときにはミイラみたいにガリガリに痩せててさ。もうちょっと見てられないの。母親はホントにプライド高かったから、自分が紙おむつ履いて寝てるところなんて見られなかったに違いないの。だから、私に「もう帰れ」って言ったのよ。私にはわかる。延命治療もしなかったし。だから、危篤で、最後に会ってお話しして、パッと亡くなったのは、母親らしくて美しい死に方だったと思う。
母親は完璧主義者。字もめちゃくちゃ綺麗でね。小学校の頃、私の上履きだとかに楷書で名前書くんだけど、習字の先生じゃないかつーぐらい綺麗だった。とにかく「美」にこだわってたの。家ではヒステリックなところあったけど、仕事は完璧にこなしてたんじゃないかな。出世したし。でもまあ、家ではヒステリックだったから、申し訳ないけど、私にはそういう印象のほうが強い。母親の死は、何とも言えない。まだ生きてる感じもするし。一昨日ぐらいかな、夜中にわーって悲しくなったけど、でもまあ、今は平気だわ。 私としては、母親の「強靭な意思、美学」を見習いつつも、もう少し、自分の家族を大切にして生きていこうかなと思ってる。いや、母親も私のことは大切にしてくれてたと思うわよ。だって、稼いだお金、全部私と弟の学費に回してたんだもん。一人2000万、合計4000万ぐらい使ったって言ってた。私は、そんなに稼げないと思うし、子供は一人しか育てられないかもしれない。でもまあ、もう少し、精神的に子供と仲良くできたらいいかなと。わかんない。子供は「もっと金を寄越せ!」って言うかもしれないし。私は、私にやれることしかやれない。
■■ 気分転換
世間一般の人々が、自分の「親との死」と、どう向き合っているのかわからない。私は「気分転換」することに決めた。私は癲癇の影響で「躁鬱」が激しくてさ。多分、ウチの家系は、弟以外、みんな躁鬱の傾向あると思う。ヒステリックつーかさ。思いつめると、とんでもないことや、突飛なことやりだすのよ。「親の葬式」や「生と死」について考えて、「ああするべきだったんじゃないか?こうするほうがベターだったんじゃないか」みたいなこと言いだしたら、感情の収拾がつかなくなる。
「躁鬱」つーのは、悪い面もあるんだけど、良い面もあってさ。感情の切り替えが早いわけ。引きずることがないのよね。「死にたいな」と思うことがあっても、すぐに「あはは、やべー笑いが止まんねえ」ってなるわけだからさ。「感情を引きずる」つーことがないの。つーかね、私も「躁鬱歴」が長いからね、だんだんわかってきたのよ。「感情なんて嘘だ」つーことがさ。勿論「感情」は大切よ。でも、真実じゃないのよね。私は発作を起こした直後に「鬱」から「躁」に切り替わる瞬間を何度も体験している。鬱のときは、本当に動けない。立ち上がるのも辛いの。「世の中や、自分の悪いところしか見えない」のよ。脳がそう「チューニング」されてる感じなの。これは「理屈」じゃないのよ。理屈でどう説明されても「悪いところしか見えない」のよ。色盲に近いと思う。「世の中には、明るい色もある」と言われても、見えないものは見えないの。ところが、これは「脳の異常状態」よね。だから、脳は一生懸命「通常の感覚」に戻そうとするの。これはラジオのチューニングに近い。うぃーんって「感覚、感じ方」が動いていくの。そうすると「悲しい曲が流れているチャンネル」から「バカみたいに明るい曲が流れているチャンネル」に切り替わるのよ。そうすると「同じ景色」でも、全く違った見え方になるの。「お葬式」つーのも、コントや映画で「お笑いのネタ」になることがあるでしょう?「エンタメ」では人が死ぬシーンが「見せ場」になってる。「北斗の拳」で敵役が「ひでぶっ」って死ぬシーンは「楽しいシーン」よね?でも、「感情のチューニング」が狂うと、それが「楽しい」ではなく「とても残酷で悲しいシーン」に見えてしまうのよ。では、どちらが「正解か?」というと、正解はないの。ただ一つ言えることは「創作の世界は、現実の世界の誰にも物理的影響を与えていない」ということだけ。そういう意味で「感情には真実がない」ってこと。だから「感情は求めるものではなく、自分自身で制御するもの」なのかもしれない。でも、どうなのかしらね。人は誰でも「幸福」を求めて生きているし。「幸福」を制御してしまったら、生きられなくなってしまうよね。「全て幸福だ」と考えたら、逆に、人々とのつながりがなくなって孤独になってしまうと思う。私が、母親の葬式でギャハハと笑っていたら、それは人間として「奇妙」よね。「感情には真実がないけど、感情がなくては生きられない」ということなのかしらね。
「宗教(感情)と科学」は、物凄く密接に結びついたテーマなの。どちらが「真実」なのか?どちらも真実に見えるし、おそらく、この両者が融合したところに何か「手応え」があるんだと思うけど。宗教団体真メグデスでは、そんなことも大きなテーマになるんでしょうね。
■■ 子育て~舞浜リゾート
母がなくなった直後に、ウチの子(通称:ミキ坊)がお座りできるようになってね。命の移り変わりを感じる。見てわかる通り、ホントに可愛いのよね。
で、コロナの自粛もひと段落したので、舞浜リゾートに出かけた。まだ、ディズニーランドはやってないんだけどね。でも、やっていない今だからこそ、舞浜リゾートに行きたかった。やってるときって、一泊10万円ぐらいするじゃん。でも、今2万ぐらいで泊まれるのよね。「どんなところなのかな?」っていうのを知りたかっただけなので、ディズニーランドが開園していなくても、特に問題ない。今回は「遊びたい」じゃなくて、「知りたい」っていう好奇心で出かけた。あと、ミキ坊と外出する訓練つーか。天気も良くて、凄く楽しかった。ミキ坊、外出するとめちゃくちゃ喜ぶのよ。ミッキーマウスがいなくても、ミキ坊が笑ってくれたら、そっちのほうが全然可愛い。
■■ 6月はメグデスの売り上げが伸びた、しかし、「艦これ」企画で大失速!
傍から見てるとバカみたいなんでしょうけど、私にとってはもう「メグデス」が人生の「全て」なのよ。「全て」つーのは、「これでお金を稼いでラクをして生きたい」という意味ではなくてね。「メグデスの活動を通して、私は、世の中や宇宙を知ることができるのではないか?」と期待しているということ。言い方を変えれば「修行」ってことになるのかしら。
家族のこと、あるいは、会社のお仕事って、自分の思い通りにはならないでしょ?というか、自分で決められることなんて、ほとんどないのよね。本当にたくさんの人の「意思」で動いているから。そして、私は「真実を知りたい」のよ。会社の場合は「お金を稼ぐ」ことが目的だから、倒産したらダメなわけ。でも「真実の探求」に関しては「ダメなことは何もない」のよ。だから「決定方針」が大きく異なるの。会社だったらさ、「成功確率10%」に「賭ける」ことはしないでしょう?社員が大迷惑をこうむっちゃう。ところが、学者の場合「もしかしたら、ここに何かがあるかもしれない」と直観で感じたら、「成功確率」だとか考えずに、やってみるでしょう?私にとってメグデスの活動は後者なの。「真実の探求」のために、メグデスをやってる。売り上げが伸びるのも、売り上げが落ち込むのも「真実を知れた」という意味では「成功」なの。強がりじゃないのよ?それに、周りから見ていても、メグデスが「売り上げ」を追求するよりも「真実」を追求するほうが楽しいんじゃない?今の時代「売り上げ」を追求すると、なんか、みんな同じベクトルへ向かっちゃいがちじゃん。特に、アマチュアはそうなりがち。Twitterの「絵師」なんて、みんな「同じようなノリ、同じような口調、同じような作風」になるじゃん。我々は「それが真実であり美しい」と思えば皆と同じこともやるし、思わなければ真逆もやる。
▼ 「仕事がデキる」母親の霊が乗り移ったのか、なんだか6月は売り上げ絶好調だったの。「セーラームーン」のエロ動画がヒットしたのかもしれない。ところが…。このつぶやきにある「すげープロモーション企画」で大失敗をする。
私が進めていた「すげープロモーション企画」というのは、「艦これ」のキャラクターをファックさせる企画だったの。紙芝居PDFつきで。「なんだよ、『艦これ』かよ」と思うかもしれないけど。私には、私なりに独自解釈した「艦これ」の世界があったのよ。「艦これ」に関する商業作品、同人作品のいくつかに目を通したけど、「ミリタリー寄り(兵器)」「いちゃいちゃ日常」の2パターンが主だったのよね。でも、私は宗教を研究しているから「戦争と宗教」という独自の視点を持っていたの。端的に言うと「マインドコントロール」ね。「艦これ」の世界を「戦争(政治)、宗教(マインドコントロール)」の視点から描いたのが、私の「戦艦の娘たち」なの。「戦争」つーのはさ、「誰かが、何かの利益を得たくて、人々を洗脳して始める」のよ。じゃあ「艦これ」の世界における「戦争」は、「誰が、なんのために始めたのか?」つーことがテーマで。私としては「男が『艦娘』という不思議な生物を、肉便器として利用するために始めた」つーのが、「艦これ」に対する「結論」なのよ。戦争をはじめたのは人間、艦娘は「利用されている」つーさ。それは「善か悪か」で言えば、間違いなく「悪」なんでしょうけど、創作上の「セックスファンタジー」だとすれば、これは素晴らしい世界観だなと思ったの。
ところが、それまで順調に売れてたのに、この作品をアップした瞬間、売り上げがピタっと止まった。ゼロよ!おそらく、この物語を読んで「面白い」と感じた人より「不快だ」と感じた人が、圧倒的に多かったのではないかと「推測」するけど。でも、私にとっては「それ以外に結論が出せない」のよ。なんで戦ってんの?喜んでるのは、提督だけでしょ?なんで喜んでるの?たくさんの女を、とっかえひっかえファックできるからでしょ?じゃあ、戦争を始めたり続けてる「犯人」は、提督(男)以外のどこにも存在しなし、存在できないのよ。
「売り上げ」を重視するのであれば、私の出した結論は「間違い」なんでしょうけど、メグデスは「真実を探求する」だから、別にいいのよ。全ての艦これファンに嫌われようが、無視されようが、私は私の出した結論に自信があるし、それ以外の解答は「ありえない」と思ってる。もしかしたら、この先、何か違う「結論」に達することもあるかもしれない。そのときはそのときで、新しい結論を認めるわ。
▼ 「艦これ」の動画をアップしたら、ピタリと売り上げが止まりました!アハハ
マジでイラつく。動画もう、全部削除しようかしら…。まあ、売れたり売れなかったり、狙いと違う結果が出ると、そりゃ落ち込むわよ。でもまあ、それが「修行」つーことかな。滝に打たれたら痛いし冷たいのはわかってんだけど、自ら滝に打たれるのにはワケがあるんでしょう。私もそんな感じ。
お母さん、私は今、こんなことを考えながら、毎日を生きています。でも、お母さんも自分が求めていた「真実」のために、全てをほったらかして仕事に集中してたんだから、べつにいいよね。笑って見ていてください。私も、私なりの答えを見つけて死にたいです。
以上