【「新世界創世記」】動画2本追加しました/PDF改訂しました

June 10, 2020

こんにちは、メグデス事務局です!宗教団体真メグデスの「聖書」である「新世界創世記(紙芝居PDF)」の動画を二本追加いたしました。また、それに伴い聖書PDFもわずかに改訂しました。動画も紙芝居PDFも「TEXT」ページで全てご覧いただけます。

 

【変更・追加内容】

 

・動画「父なる母」

・動画「剥製」

・紙芝居PDFに「カオリ」に関する話を追加

 

▼ ルシフェルの所有する「花」である「カオリ」は、ルシフェルに寵愛はされたものの、人間として扱いは受けませんでした。カオリはルシフェルに怖さを感じつつも、しかし、格別の扱いを受けていたため、そのことに酔いしれている一面もありました。

 

▼ テレネーゼは女性がルシフェルに殺されぬよう、良かれと思って性行為の身代わりを申し出ます。しかし、助けられた女性は「ルシフェルからの寵愛を横取りされた」と感じ、快く思いませんでした。

 

■■ 聖書はエンタメではなく「教えを伝えるためのもの」

 

ブログでも繰り返し述べておりますが、「新世界創世記」はメグデスの「聖書」であり、エンタメではありません。ですので「面白くしよう」とは考えておらず、「メグデスの教えを正しく伝えよう」という意図で制作されております。メグデスは人間の三大欲求である「性欲」に重きを置いて研究しております。その成果が「聖書」に記されているわけです。今回、新たに制作された動画・追記された記述内容は「嫉妬、人格否定、他者の存在」に関してです。この部分の説明が「弱い」と感じていたので、補足いたしました。話を面白くするためではなく、「より真実に近づけるため」に補足したのです。

「抽象概念」を難しい文章で書くのが、カントやヘーゲルのような「哲学者」ですよね。それを紙芝居や動画でセックスを交えて表現するのが、我々、宗教団体真メグデスです。カントやヘーゲルは「真実を追求」しようとしているのであって、「読者を喜ばせよう」としているわけではありませんよね?(多少は、そういう気持ちはあるかもしれませんが)メグデスも「聖書」の制作においては、常に厳粛な気持ちでですね「真実を追求しよう」としています。

 

■■ 目指すべきは、美しき「混沌」

 

セックスの行為の最中、女性は「モノ」になります「いや、私はそんなことない!」と反論される女性もいるかもしれません。しかし、メグデス内部においては「モノかな」ということになっています。キリスト教の「新約聖書」ではセックスが否定気味に書かれています。これはなぜか?推測でしかないのですが、キリスト教は「人間らしさ、道徳、冷静な判断」をとても大切にしているんですね。しかし、セックスの最中、人間は人間らしさや道徳、冷静な判断力を失ってしまいます。つまり「人間らしさ」と「セックス」の双方を両立させることができず、そのため「教義」として「セックスは悪だ」とまとめたわけです。わかりやすいですよね。この教えは、この教えとして大変意味があります。

ところが、「性欲」は人間の三大欲求なんですよね。メグデス教は「食欲、睡眠欲、性欲」は「人間が人間らしく生きていくために、最低限、守られなければならないもの」だと考えています。キリスト教の教えを完全に守ったら、世界は平和にはなりますが「無、ゼロの世界」になってしまう。これを「良し」とするか「悪し」とするかです。「無への回帰」も人類の終着点として美しいものではあります。しかし、これよりもっと良い回答があるのではないかと、我々メグデス教は考えたわけです。我々メグデス教が目指すものは「美しき混沌」です。「美しき混沌」を言葉で定義するは難しいです。整理されていないようで整理されており、秩序がないようで秩序がある世界…。これを表現したものが、メグデス教の聖書「新世界創世記」です。端的な言葉では説明ができないので、「物語」の形式で伝えているだけです。決して「面白くする」ためではありません。

メグデス教にも「善と悪」の概念があります。しかし、メグデス教は「ある一つの行為において、完全に善なる行為、完全に悪なる行為はほとんどない」と考えています。強いて言うならば「それを連続した結果、人間が無に帰してしまう行為」を「悪」とします。「悪」以外の行為は、全て「善」です。例えば、殺人に至るような「暴力」は「悪」です。それを繰り返していくと、最終的には地上には一匹の生物しか生き残らず、そして滅びます。しかし、セックスを繰り返しても「無」にはなりません。なので「善」です。

 

■■ 完全なる回答はない

 

メグデス教であっても、完全なる回答は持っていません。「新世界創世記」には「生きるヒント」が多分に示唆されていますが、完全なる回答は出していません。第二の王にして、完全なる存在であるベルゼブブは、第一の妻ミズハの「嫉妬」によって毒殺されます。では、ミズハはベルゼブブを殺したことで「幸福や達成感」を得られたかというと、全くそんなことはありません。ミズハのことを守ってくれていた審判と正義の神ジャスティスもミズハのもとを去り、ミズハは取り残されてしまいます。では、ミズハはベルゼブブを殺してはいけなかったのでしょうか?しかし、その場合、ベルゼブブは3人の妻のうち、唯一ミズハだけを「幸福」にはできないことになります。では、ミズハは離婚すれば良かったのか?しかし、ミズハはベルゼブブを愛しているわけで、離婚は幸福になりません。この、どうにも整理できない矛盾が極地に達し、賢者ベルゼブブが構築した世界が崩壊します。結果として、ベルゼブブは人間達に「キミ達はどう生きるか?」と課題を残して去るわけです。課題が残された世界、それが「新世界創世記」です。課題は残されています。でも、ほとんどの課題は、ベルゼブブが解決しているのです。しかし、100点の回答にはならなかった。100点満点のうち、95点ぐらいを叩き出したのですが、その取れなかった残り5点が原因で殺される。しかし、世界は「無、ゼロ」になっておらず、むしろ、無限の可能性が残されたわけです。この「可能性を残した」という点が、賢者ベルゼブブのもっとも優れたところです。キリストや仏陀は「救済した」と言っているんですが、何も救済していないんですよね。なんとなく「世界が良くなった」ような錯覚を起こさせてはいるんですけど、具体的に「じゃあ、男は女と、女は男と、そして、人間はセックスとどう向き合えば良いのか?」と言うことに対して、何も救済していないわけです。三大欲求のうちのひとつについては「捨てろ、ゼロになれ」と言い放ってるだけなんです。しかし、ベルゼブブはもがき苦しみながらも「ゼロ以上」を創世したんです。キリスト教や仏教は「完全なる幸福」を目指してしまいました。だから「捨てろ、ゼロになれ」という結論になってしまった。求めすぎてしまったんです。しかし、賢者ベルゼブブは「完全なる幸福」をゴールとはせず、「一歩でも前進する」ことを目指しました。なので、辿り着く先は「ゼロ以上の幸福」なんです。メグデス教が目指すものは、この「ゼロ以上の幸福」なんです。ゼロよりも10、10よりも20、20よりも50のほうが幸福です。でも「完全」を目指すとゼロになってしまう。この状況下で、どこまでやれるかを追求する。それがメグデスの「宗教」です。

 

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以上

 

 

 

 

 

 

 

 

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