「ランス10」は21世紀の聖書 / コロナウイルスと志村けん

April 26, 2020

 

こんにちは、宗教団体真メグデス、リーダーの木下桜子です。コロナの災厄は予想外の広がりを見せ、世界は一変してしまいました。コロナの面白いところは、ある人にとってはこれ以上にない不幸をもたらし、ある人にとってはこれ以上にない幸福をもたらすところでしょうか。このギャップは日を追うごとに大きくなると思います。メグデスはこれを情報化社会、すなわち「第三の物語」の「展開期」だと重く受け止めています。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?

 

■■ 「ランス10」に取り組むのは、英語で聖書読むのと同じぐらい大変

 

そんな中、私は2年間寝かせていた「ランス10」のプレイにハマっています。「音楽バンド」としてメグデスを立ち上げたのが4年前。そして、宗教団体として改革したのが3年前。当時は曲作りや作曲の勉強で忙しすぎて、ゲームをやる暇なんてなかったんです。しかし、予定通り、いや、予定より1枚多い「6枚のアルバム」をリリースし、メグデスの活動もひと段落。さらにコロナで外出自粛の流れがあり、もう「ゲームをやるしかない」という状況下で「ランス10」に取り組むことができるようになりました。もう「やるしかない」という状況下。こういう状況下で、膨大な時間を投入し、集中して「ランス10」に取り組めるのは、私にとって幸運でした。でなければ、こんな大作ゲームできないですよ!学生時代、ノートに書き写しながら、英語で新約聖書を読んだことがありますが、それと同じぐらいの労力がかかります。まあ、ゲームのほうが100万倍楽しいですけど。

 

■■ 「ランスシリーズ」は宗教団体真メグデスに大きな影響を与えている

 

「ランス10」は、30年続いた「ランスシリーズ」の最終作です。ランスシリーズ、ならびに発売元アリスソフトの思想・感覚は、メグデスのメンバー全員に多大な影響を与えています。

ギタリストのジャイアントさんは「アリスソフトに入社したい、こういう方向に進みたい」と考え、長編小説を執筆、電撃文庫のコンペに投稿したり、アリスソフトに履歴書を送ったりしています。結果としては落選したのですが、2年後ぐらいにエロゲブランド「アトリエかぐや」さんから返事が来て、エロゲライターとして仕事をいただくことになりました。短い期間だったようですが、このライター時代、徹底的に「エロゲ・ライトノベル」を研究したことが、我々メグデスの楽曲歌詞の「エロ路線」の土台になっています。

「エロ」と一言でいっても、何を土台にするかによって大きく変わります。例えば、アニメのキャラクターに影響を受けるのか、あるいは、AKB48のようなアイドルソングに影響を受けるのか。メグデスも様々な音楽、さまざまなエロを研究しています。しかし、メグデスの「エロ」の土台は「ランスシリーズ」です。アイドルソングではありません。ですから、私キーボードの木下桜子、ベースのミッキー・ハットはアイドルの真似事のようなことはしません。そういう喋り方もしません。また、ジャイアントさんも秋元康さんのプロデュース方法に憧れたり、真似したりしません。

 

■■ 「ランスシリーズ」における「エロ」とはなにか

 

「ランスシリーズ」における「エロ」とは何か。これは、ファンによってさまざまな解釈があるかと思いますが。メグデスが結成当時から長年に渡って議論した結果はこれです。

 

【「ランスシリーズ」におけるエロ】

・全ての男と女は「セックス(=本能・神)」のための玩具である。神に愛され、神に惑わされ、神に弄ばれる。そして、そこに「物語(=恋愛、結婚、凌辱等)」が生まれる。

・女は強い(スキルが高い)。しかし「セックス」においては、女は弱者(という立場)である。

・男は弱い(スキルが低い)。しかし「セックス」においては、男は強者(という立場)である。

 

これは物理法則ではなく、「おおよそこんな感じ」という意味です。その上に、様々な「少数の例外」が存在します。そして「ランスシリーズ」のエロの感覚は、そのまま、私がこれまで見てきたり、経験した「世界(リアル)」と一致しています。また「男女の役割分担」は、そのまま宗教団体真メグデス上での「役割分担」にも当てはまります。メグデスのリーダーはもともとギタリストのジャイアントさん(男)でした。その役割は次第に、IQ127の絶対美少女ミッキーさん(ベース/女)に継承され、現在は私、木下桜子(キーボード/女)が担っています。「自然な力の法則」でそうなったのです。ミッキーさんや私は「メグデスの物語」において圧倒的に強者です。ですから、アイドルのようにファンの男性に媚びることはないのです。さらに、もうひとつ、付け加えておきます。我々メグデスにとってファン(男性)とは何か。それは「魔物」です。我々メグデスはファンを人間だと思っていません。魔物だと思っているのです。

 

■■ 「嘘がないこと重要」我々にとっての「ランスシリーズ」

 

私自身「ランスシリーズ」はいくつかやりましたが、全作やっているわけではありません。音楽、仕事、恋愛、色々忙しいです。ゲームに費やせる時間は限られています。その中で一番影響を受けたのは、やはり「戦国ランス」、そして、今回プレイした「ランス10」です。

「戦国ランス」はエロゲファンなら知らぬ者がいないほどの名作中の名作。キャラクターや物語性がとても豊かで、ゲームバランスも最高。そして、その土台にあるのは「世界中の美女を抱きたい」という男性的な本能。全てが「徹底的にピュア、一切の嘘がない」のです。ここに我々は惹かれました。「嘘がない」というのは、我々メグデスにとって、物凄く重要なのです。なぜかというと、我々メグデスが求めているのは「美と破壊」だからです。

 

■■ 「美と破壊」の大切さと関連性

 

嘘は美しくありません。嘘を破壊しても意味がありません。例えば、日本には「天皇は神の子である」という「嘘」が存在します。ローマにも法王だとかいますよね。色々あって、そうなったんでしょう。では「ある血筋の人間が神の子である」という、この嘘は美しいでしょうか?私は間抜けだと思います。では、これらの嘘をなんらかの科学的調査で「こいつらは嘘つきだ!」と暴いたところで、何か意味があるでしょうか?それが「嘘」だということは、既にみんな知っているんですよね。宇宙人やUFOみたいなものです。でも、嘘だと知ったうえで「まあ、そうしておくのが、今のところ一番まとまるよね」ということで、状況を落ち着かせているのです。

我々にとって価値があるのは「地球は美しい球体である」という事実を明るみにするために、「地球は平面である」という考えを「破壊」することです。地球なり社会を単に破壊しても、全く美しくありません。「その先にある美を拾い出すために破壊する」のが重要なのです。

もし、その先に何かもっと、美しいものがあるのならば「天皇は神の子なんきゃじゃない」と破壊しても良いと思います。でも、民主主義も共産主義も「究極の美、真実」ではありません。今よりちょっと幸せな人が増えたり減ったり、ただの「微調整」の話に過ぎません。ただの「微調整」であるならば、それが天皇主義であっても、法王主義であっても構いません。そこは、我々メグデスが関与する問題ではないのです。あくまでそれは「調整作業」です。発掘作業ではない。

 

■■ 「ランスシリーズ」はポスト・ファンタジー。「現実逃避」から「人生哲学」へ

 

ランスシリーズは「ドラゴン・クエスト」、「ファイナルファンタジー」、「ロードス島戦記」といった「愛とロマンのファンタジーゲーム・小説」に対するアンチテーゼとして生まれました。主人公は世界を救うためではなく「色々な美女とセックスしたいから頑張る」のです。これは聖書に書かれている「産めよ、増やせよ」に帰結します。私はそこに、私が求めている「美と破壊」を見出しました。私はオタクだったので、子供の頃ファンタジーに夢中でした。しかし、それは「幻想=現実逃避」の世界だったのです。いつかは卒業しなくてはいけない世界です。ところが「ランスシリーズ」の主役である、自らの欲望に忠実な「ランス」という男と出会って「ファンタジー」に対する価値がガラリと変わりました。ランスは世界や人類を救いつつも、身勝手に色々な女を犯します。その活躍を見ながら、私は「人間はこれでいいのか?生きるとはなにか?」という疑問を抱きます。それはつまり「人生哲学」です。それまでのファンタジーは「現実逃避」でした。その物語に没入している間、現実の人生のことを考える必要は一切ないのです。ところが「ランスシリーズ」をやっている間は「人間、これでいいのか?いやしかし、これが人間の本性ではないのか」と、常に「現実」と向き合い続けなくてはいけないのです。

当時の私は「ファンタジー小説・ゲーム」を卒業して、「音楽」という「別のファンタジー」に没入していました。社会で働くことから逃げたい、そう考えて「音楽」という「金になりそうな別のファンタジー」に逃げ込んだんです。「ファンタジー小説・ゲーム」から卒業したことで、私自身は私が「大人になった」と考えていました。でも「音楽」という「別のファンタジー」に逃げただけなんです。私自身の「心の強さ・本質」は、何も変わっていなかったのです。ただ、土俵を変えただけ。しかし「ランスシリーズ」と出会ったことで、遂に「現実」を見るようになったのです。いや、それ以前にも「現実」を見てはいました。しかし「現実」はあまり楽しいものではないので、そこまで真剣に向き合えなかったんですね。しかし「ランスシリーズ」は、ゲームとしてあまりに面白いので、向き合わざるを得なかったんです。結果として、「人生」と向き合うことになりました。私はここで「ファンタジー(=人生逃避)を通じて人生を知る」という、とても奇妙なパラドックスを体験をしました。現実から逃げているのに、現実と向き合わされるのです。「ランスシリーズ」はドラゴンクエストやファイナルファンタジーのように「時間をかければ誰でもクリアできて、人類を幸せにできる」というゲームではありません。ただ時間を費やしてもダメで、相当頭を使って苦心して工夫をしないとクリアできません。しかも、クリアしても、そこで描かれる物語では人類は幸せになるわけではないのです。世界中の美女が、主人公ランスに犯され孕みます。死ぬキャラクターもいます。大きな「不条理」があります。でも、それは「不条理」ではなく「世の自然な姿」でもあります。むしろ、3~4人の主人公が頑張っただけで魔王が倒されて、全人類が幸福になってしまう世界のほうが「不条理」なのです。そういったことに気づかせてくれたのが「ランスシリーズ」です。

 

▼ 「ランス10」エンディング(ネタバレ)

 

「本当におめでとう」女神の祝福のあとに発生する事件。全くハッピーではありません。これでも、クリアまでに100時間ぐらいかかっています。これは「バッドエンド」ではなく、「ランス10」の巨大な物語に含まれるひとつの帰結。では、もっと時間をかけて、もっと苦労すれば、いつかどこかにある「究極のハッピーエンド」にたどり着けるのか。ありません。誰かの最大の幸福の影に、誰かの最大の不幸が隠れています。神は人類にも、魔物にも等しく残酷であり、ただ、それだけ。それが「ランス」の世界観です。それは「現実」ともシンクロします。では、この「物語」の中で、自分ならばどう生きるか。どう生きたいのか?様々なキャラクターの背中を追いかけながら「自分はどう生きたいか」という「人生哲学」を考えさせてくれるのが「ランスシリーズ」の本質です。

私は「ランスシリーズ」から「人生」を学んだことで「勝っても負けても、どちらでもいい」と思うようになりました。大切なのは「悔いのない人生を送れるよう、最善の努力を尽くすこと」なのです。それでもハッピーエンドにはならない。世界はそのように「不条理」にはできていない。それでも「最善を尽くす」ことにしか「美」はありません。何に対し最善を尽くすのか。それは自分自身で決めなくてはいけません。「ランスシリーズ」の主役はセックスに狂うランスという男ですが、それ以外にも、魅力的な「最善を尽くして生きる」キャラクターがたくさん出てきます。ランスの生き方に憧れる人もいるかもしれませんが、そうではないキャラクターの生き方に憧れる人もいると思います。それでいいんです。

余談ですが、私は「ランスシリーズ」にハマったあと、将棋を覚えました。それまでは「負けるのが嫌」で将棋を指さなかったんです。私は非常に将棋が弱く、父親や弟にすら負けていました。私は学校の勉強ができましたので、自分より「低学歴」の人々にコロコロ負けるのが我慢できなかったんですね。でも「負けてもいいんだ、とにかく最善を尽くそう」と考えるようになって、将棋と向き合う「心」が育ちました。まあ、それでも大して強くないですけど、アマチュア二段ぐらいには勝ったことありますし、少なくとも、父親や弟にはもう負けません。それぐらいにはなりました。間違いなく、私の「頭脳と心」は以前より飛躍的に「マシ」になりました。それで十分です。

 

▼ 「ランス10」の究極の「悪」であるケイブリス。小動物「リス」として生まれた彼は、神と出会い「強くなりたい」と願い、6000年の時を経て「魔王」の地位まであと一歩までたどり着きます。暴虐とレイプの限りを尽くすケイブリスですが、その姿はランスとも重なります。ゲームとしてはプレイヤーは「人類代表」のランスを操作しますが、ランスが「正義」ではありません。ランスにはランスの正義、ケイブリスにはケイブリスの正義、それ以外のキャラクターも自分自身の正義を貫いて死んでいきます。そして、その姿を見て、神は楽しみます。なぜならば「退屈だから」。私自身は、このケイブリスに物凄く感情移入してしまいました。

「なぜ、誰もオレを愛してくれない!」

そのことに対して、人間や魔物、色々なキャラクターがケイブリスに説教します。でも、説教する側のキャラクターに正義があるかというと、そんなこともありません。ほとんどのキャラクターは「生まれつきの恵まれた自分の才能」に寄っかかって生きているだけで、ケイブリスほどの努力を重ねた者はこの世界に存在しないのです。「生きるとは何か」を、自分なりに突き詰めた「リスの魔物」ケイブリス。おそらく「窮鼠、猫を噛む」という故事が由来になっているんでしょうね。

 

 

 

 

■■ 魔王「コロナウイルス」と志村けん

 

微生物のコロナウイルスと、女好きの偉大な芸人「志村けん」さんの死は、私の中で「ランス10」の物語と凄く重なるんですよね。

ひとつの「小さな菌」として生まれた生物が「最強のウイルス」を目指して試行錯誤を繰り返し、日本芸能界で頂点を極めて女とセックスしまくった志村けんさんを殺す。志村けんさんの訃報は、多くの方々によって惜しまれています。しかし、もしこの先、コロナウイルスがなんらかのワクチンで撲滅されたとき、コロナウイルスのことを惜しんでくれる生物はいるのでしょうか。「最強のウイルス」を目指して試行錯誤を続けたコロナウイルスと、「最強の芸能人」を目指して試行錯誤した志村けんさんと「命の重さ・努力」に違いはあるのでしょうか。あるいは、コロナウイルスと志村けんさんの、あるいは、地球上に存在する全ての生物にとってのハッピーエンドとはなんでしょうか。ないですよね。ないんですよ。

小動物である「リス」として生まれ、6000年かけて魔人となり「誰もオレを愛してくれない!」と叫んだケイブリスとコロナウイルスの姿が、私には重なって見えます。どちらにも正義はありません。ただ、どちらも「懸命に生きている」というだけです。そして、お互いにお互いのルールでフェアに生きて、戦ったんです。ですから、我々は「神の立場である、第三者としての視点」からは、コロナウイルスからも、志村けんさんからも「学ぶ」ことができます。

 

あなたは「何を学び、どう生きる」か。

 

「ランス10」、「コロナウイルス」、「志村けん」という大きな「物語、命」と出会ったこの機会に、私自身も、より一層強く自分を見つめなおしてみたいと思います。そして、メグデスのメンバーと議論しながら「我々の考え」を、作品等で発信していきたいと思っています。なぜならば「それが私のやりたいこと」だからです。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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