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映画「三島由紀夫VS全共闘」/三島由紀夫とメグデス

 こんなことしてちゃダメなんだけど。子供はパートナーに任せて、レイトショーに行ってきた。

私、ユッキーの大ファンだからさ。

 

■ この映画の批評・批判はしづらい

「全共闘」という左翼思想を持つ東大生が、「極右」の三島由紀夫を招いて「公開議論」をおこなった。その時の様子を、当時の映像を用いて再現したのがこの映画。でも、映画とはいっても、映画じゃない。そこで喋っている学生は、ただの一般人。役者が脚本に従って演じているわけじゃない。

映画だったら「ここが良かった、ここが悪かった」って気軽に批評・批判できるんだけど。これは当時の「ただの人間」、三島由紀と学生が「今、自分が考えていること」を話して意見交換をしているだけなの。当時の学生らは今、80歳ぐらい。まだ生きている。だから「アイツのあの発言のここがおかしい、クソだ」みたいに、気軽には批評・批判できないの。だって、20歳の学生が「ボクの主張」を述べているだけなんだから。そりゃ、当然おかしなところもあるわよ。

ただ、これを制作したTBSは、可能な限りフラットな視点で、当時の三島由紀夫と学生たちを映していて。また、時折入る専門家や本人達のコメントも、努めて冷静に話をしていて。なので、当時、みんながどういったことを考えていたのかが、今の時代の人にもよくわかるようになっていた。その点で、本映画は「記録」として本当に素晴らしいものだった。

 

■ 議論の内容の概要

議論とはいっても、ワイワイガヤガヤしている東大生が、ほとんど思いつきで三島由紀夫に色々ふっかけているわけで。まあ、文化祭の催し物みたいな感じなのよね。だから、筋道のあるまとまった議論ではない。

とはいっても、当時の学生は、学生なりに真剣に「日本を変えよう」と思っていて。また、三島由紀夫も命を懸けて「日本を変えよう」と思っていた。その両者が、お互いに敬意を持って意見交換しているわけだから、ところどころで「ギラり」と光るものはあった。そして、その議論の焦点は、勿論、若い世代の日本人が見ても、考えさせられることが多いとは思う。ただ、凄く難しい言葉がたくさん出てくるから、ほとんどの人は、観ても何が何だかわからないと思う。そこで、IQ127で言語能力に特化した私ミッキーが、かいつまんで議論の内容を説明するわね。

 

 

【三島由紀夫の立場】

1.敗戦後、日本の若者が、何も考えずにアメリカ文化に染まっていくのが許せなかった。

2.日本人は「天皇」を手本として、「日本人」らしく立ち振る舞いをするべきだ。

 

三島由紀夫は、当時40歳。しかも、圧倒的に知能が高い。小説家・思想家として、自分の哲学を練り上げて整理している。だから、三島由紀をの考えは非常にわかりやすい。だから、私も著作を読めば、三島由紀夫の考えはすぐに理解できる。

 

【全共闘の立場】

1.日本の若者が、何も考えずにアメリカ文化に染まっていくのが許せなかった。

2.人間は国籍や社会の枠組みにとらわれない、もっと自由な存在であるべきだ。

 

「全共闘」というのは、東大生ではあるものの、まだ20歳前後。社会に強い不満はもっているけれど、社会経験もないし、考えが行き届いていない部分も多い。あくまで「著作で学んだ思想」をベースに議論している。

 

 

そんな状態なので、どちらが正義、どちらが悪かはともかく。議論をすれば、当然、三島由紀夫のほうが理路整然とするわけだけど。ただし、三島由紀夫と全共闘は「1」の部分で共通項があって。だから「意見交換ができた」というわけ。対立の焦点は「2」の部分よね。

 

■ 三島由紀夫の考え

 

三島由紀夫の意見の前に、まず自分自身の胸に手を当てて考えなきゃいけないことがある。

いつの時代であっても、誰であっても、「今の日本は間違っている!」と考えることがあるでしょう。例えば、私は「今のヲタク文化は間違っている!」と思うわよ。また「安部の政治は間違っている!」という人もいるでしょう。ここまではOK?

ここからが重要なんだけど「これが間違っている」と指摘する場合には、「こちらが正解だ」という主張を持っていなくてはいけないの。それで、一般人の場合は「正しいのは自分」なのよ。

「これは間違っている。なぜならば、オレにとってそれは不愉快だからだ!」

これが、一般人の一般的な考え方。そこには「体系だった理論」は存在しない。

一方、「思想家」と呼ばれる人たちは、理論的に、体系的に、自分から切り離したところに「正義」を構築しようとする。

「これが正義だ。その正義と比較して、これは悪だ」

そう考えるわけね。

三島由紀夫は、考え抜いた挙句「正義は『天皇』だ」という答えに行き着く。

この場合の「天皇」という言葉の意味が難しいんだけど。三島にとって「天皇」とは「日本の文化規範を濃縮したもの」なの。

 

「天皇とは、日本の文化規範を濃縮したもの」

 

例えば、天皇が新宿のキャバクラで豪遊したり、デリヘル呼んで乱交パーティーやってたら、世間は「怒る」わよね。「天皇がそんなことしていたらおかしい!」と。電車にのって鼻くそほじっていても「天皇が鼻くそをほじるなんておかしい!」と批判される。何をやってもそうなる。天皇は「完璧でなくては批判される存在」なの。本来、人間は自由な存在のはずなのに、なぜ、天皇は新宿のキャバクラで豪遊するだけで怒られるのかしら?

なぜならば、日本人の心の中には、どこかで感覚的に「日本人的な正義の心」を持っていて、天皇に対しては無意識に「完璧な日本人」を求めるわけ。そういう習慣が日本には何千年と根付いてるの。そして、天皇は人々の期待に応えて、常に「完璧な日本人」であり続けようとしてきたわけ。そして、今もなお天皇家が存続しているということは「完璧な日本人として実績を出してきた」ということなの。だから、三島由紀夫は「『天皇』を基準に日本を律するべきだ」という考えなの。それは、ある意味「民主的」なのよ。だって、絶対多数の人間の厳しい目をクリアーした「天皇」をモデルとして生活するということは、絶対多数の人間の決めたルールに従うということと等しいから。合理的よね。「天皇に従う」というと違和感あるんだけど、でも、「文字で書かれた憲法という文章に従う」のも、考えてみれば、なんとなく変なことなのよね。どっちも変なのよ。でもまあ「理論的に考えれば、どちらも正しい」し、であるならば、アメリカが決めた憲法に従うより、日本人自身が育ててきた「天皇」に従うほうが、日本人にとっては良いことではないかと三島は考えた。

 

■ 全共闘の考え

 

三島の考えが理解できると、自動的に、全共闘の考えも理解できるわよね。

 

「天皇に従うなんておかしくね?人間は、もっと自由でいいんじゃね?」

 

そりゃ、もっともな感情よね。でも、憲法や天皇がなくなったとしても、社会を構築するためには、結局「何か別の新しい規範」を作らなきゃいけないでしょう。振り出しに戻っちゃうのよね。でも、学生だし若者だから「自由でいたい」わけよ。「自由」がなんなのかはよくわかんないけど、でも、とにかく自由になりたいわけ。東大生は頭良いから、色々な本を読んで「自由」を言葉で理論化しようとするんだけど、まあ、当然できないわよ。少なくとも「現時点の言語」では、言語化できないところに「自由」は存在するの。

 

■ 三島由紀夫と全共闘が、議論の先に求めたものとは?

 

三島由紀夫も、全共闘も「今の日本は間違っている!」と感じている。この点は同じ。そこからどうすればいいか。ここで意見がわかれた。

三島由紀夫は「現実的な、かつ、理論的な解」として「日本人は天皇に従うのが合理的だ」と考えた。計算から弾き出した回答なの。

全共闘は「芸術的な、かつ、ポエム」として「人間は自由であるべきだ」と考えた。感覚で弾き出した回答なの。

この議論を第三者視点で眺めれば、大抵の人は「計算式としては三島由紀夫が正しいが、感覚的には学生が正しい」と感じるんじゃないかしら。この両方の考えが、上手くブレンドされたら、一番良い答えになりそうよね。でも、これは混ぜることができないのよ。なぜならば、一方は「計算式」で、一方は「感覚」だから。でも、混ぜることはできないけど、敵対するわけでもないでしょう。だから、三島由紀夫も学生も「あれは良い議論だった」と回顧することができるというわけ。三島由紀夫は、全共闘との議論を「愉快な経験だった」と述べている。では、結局日本はどうなったかというと、これは明確よね。三島由紀夫は自殺した。全共闘のデモは鎮圧された。つまり、日本は「計算でも、感覚でもない、なんとなく曖昧な中道を歩んだ」ということ。日本人らしいでしょ?

 

■ 「計算」と「感覚」

 

「計算と感覚の意見の衝突」というのは、ひとりの個人の中でも、頻繁に起こりうることでしょう。

「頭ではわかってる。でも、感覚ではこうしたい」

人生なんて、そんなことだらけよね。だから、「計算と感覚」の対立が大きく表象化した「学生運動」は、正確に理解することができれば、これからを生きる人々にとっても、大きな意味があり、また、大きな示唆を与えてくれると思うわ。

「計算でもない、感覚でもない、曖昧な中道」

これが、日本文化における「正解」なのよ。今後同じような事件が起きても、必ず、この「曖昧な中道」を日本は選択することになるはずよ。

 

◇ ◇

 

▼ その他の議論

 

さて、上述は、映画内の議論なり専門家の解説を、私が「奇麗な流れ」でまとめてしまったけど。学生が司会をする行き当たりばったりの討論会なので。話は色々と飛ぶわよね。全く違う話題にいくわけじゃないんだけど、本筋から合ってるのかズレてるのか、よくわからないような焦点に目が向くというか。その中で、私が非常に興味が惹かれた議論があったので、それも併せて紹介しておくわ。

 

■ 最高のエロスとは「縛られた女」

 

これは議論の中で「他者とは何か?」という質問に対し、三島由紀夫が哲学者サルトルの言葉を引用して回答した内容なんだけれど。

 

・「最高のエロスとは『縛られた女』である。つまり、自分が求める相手が何もできない状態こそが、人間の性欲を最も刺激する。しかし『何もできない相手』には『意思がない』わけだから、それは『他者』ではない」

・「暴力が持つ快感も性欲と強く結びついている。『相手が何もできなくなる』というエクスタシーを求めて、暴力をふるう」

・「一方、対立する、意見を求めるというのは、そこにいる人間の意志を確認しているわけだから、これは『他者を求めている』ということに他ならない」

 

・「作家個人の芸術空間の中に『他者』は存在しない。私は長い間、その空間の中にいたが寂しくなった。だから、他者を求めた。そして、共産主義者と対立することに決めた。これは決めたのだからしょうがない」

 

語弊を招くのを承知でまとめると「快感とは自己と他者を同一化させること」である。そして「対立とは、その場に他者にいてほしいという願いから生まれる」ということね。凄く腑に落ちる言葉よね。少なくとも、私にとってはそう。

 

◇ ◇

 

▼ 最後に「メグデスと三島由紀夫」

 

 

今回の記事は、あくまで映画の紹介だから。メグデスと三島由紀夫の関連性については、簡単に話すにとどめるわね。皆には「ああ、メグデスは三島由紀夫の思想を強く受けているのか」ということぐらいを簡単に理解してもらえればいいわ。いや、理解してもらわなくても構わないけど。

 

メグデスのリーダーの木下桜子(key)は、ただ純粋に「音の響き」だけを追求しているのだけど。

一方、ジャイアント(gt)、そして私ミッキーは、芸術に取り組むうえで、物凄く「思想」に重きを置いている。その思想の土台となっているのが、三島由紀夫なのよね。

とはいっても、別に私は、三島由紀夫の本を読み漁っているわけでもなく。覚えてるのは2~3冊かしらね。でも、私、IQ127で言語能力に特化してるから、それぐらいでわかっちゃうのよ。「そんなバカな!」と思うかもしれないけど、そうなの。だって、三島由紀夫は「伝えたい」と思って、整理して言葉を並べてるわけでしょう。言語能力に特化していれば「整理された言葉」から逆算して、それを書いた人間の思想や心理にたどり着くのは、全く難しくないわけ。ましてや、三島由紀夫は言葉の整理能力に非常に長けているから、非常にわかりやすく、本人の思想や心理にたどり着けるの。もう、直観的にたどり着ける。

で、三島由紀夫の思想にたどり着いた私は、三島由紀夫の思考をトレースするように、芸術の道を歩んでる。簡単にいうとこうね。

「美とは何か、エロスとは何か、社会とは何か、他者とは何か」

メグデスの活動なり作品は、全て、この「テーマの線路」に従って制作されている。それを理解してもらえると、メグデスの作品がもっと楽しめると思うの。

 

1.メグデスの曲では、なぜ、チンポやマンコを連呼しているのか。

2.メグデスの曲では、なぜ、人形(意思を持たない3Dモデル)がファックしているのか。

 

これらは、全て三島由紀夫が試行錯誤した「美とは何か、エロスとは何か、社会とは何か、他者とは何か」というテーマに対して、私も、私なりの回答を出した結論なのよ。私の出した結論と、三島由紀夫の出した結論は、当然、異なるわよ。でも、私も同じテーマについて試行錯誤したってだけ。そして、私自身は勿論「私の出す結論は、三島由紀夫を上回るものでなくてはいけない」と思ってるわよ。だって、三島由紀夫より私のほうが、後の世代なんだもの。私が三島由紀夫を上回らなければ、誰がそれをやってくれるの?誰もそれはやらなくていいの?日本はどんどん、未熟に、稚拙に、幼児化していけばいいの?ダメでしょ、それは。私はそう思って、気合を入れてメグデスをやってる。それだけ。

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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