真メグデスの命題確定「自虐・自傷からの脱却」

音楽ないし芸術は、時代を写す鏡でしかない。実は作者のスキルなんてどうでも良いのよ。

古代アステカ文明にも「神絵師」はいたはずだけど、今の我々がアステカ族の絵を観ても、どれが上手い、どれが下手だという判別はできない。どれも同じ「アステカ文明の絵」だとしかわからない。

江戸時代の浮世絵も同じ。「葛飾北斎」の絵は別格なように見えるけど。そういったネームバリューを隠された状態でズラっと浮世絵を見せられても、なかなか優劣はつけられない。「どれも同じ浮世絵だ」と思うだけ。

芸術は「時代の鏡」だから、その時代を生きた鑑賞者でないと「心に刺さる、刺さらない」という細かな判別まではできないのだ。ところが、芸術家はまさにその「心に刺さる、刺さらない」という部分を追求している。すぐに時代の海の藻屑として消えるのにもかかわらず。

「芸術が時代の鏡」であるならば「美しい時代の芸術」は自ずと美しくなるし、「醜い時代の芸術」は全て醜くなる。さて果たして、いかに創作者に技量があろうとも、この腐女・童貞がネットにはびこる暗黒時代に誰かが芸術を創作したところで、それは時代を超えた感動を呼び起こすような美しいものとなるのだろうか?うーむ…。

我々、真メグデスが今の「醜い時代」に「美しいもの」を創るとすれば、今の時代を超えたものを創らねばならない。

私が今の時代を「醜い」と評価しているのは、私の主観ではなく、この時代を生きている本人がそもそも自分自身を「美しい、充実している」とは考えていないだろうと思われるからだ。 私が彼らや彼女らを「醜い」と評価したのではない。彼ら彼女ら自身が自身を「醜い」と評価し、自身をせせら笑っているのだ。それではダメだ。

我々芸術家は確信をもって「自分は美しい」と思えるような思考を身に付け、創作すべきだ。そこには一切の自虐は不要である。そして「美しい思考」は、ただ心の強さだけがあれば、一切の才能などなくとも身に付くはずはずだ。芸術家は徹底したナルシストでなくてはならない。

そうだ! 「自虐・自傷からの脱却」 これが、我々真メグデスの芸術が達成せねばならない命題であり、使命だ。

よし、やるぞ。

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