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『マストドン文化祭』とはなんだったのか?

◆ ある日、ある事件によって、ある集団に亀裂が生じた

「マストドン」とはツイッターの類似サービス。 そのマストドンのユーザが主催となり、2018年5月5日「マストドン文化祭」が開催された。

場所は青山。オシャレよね。 有志のみで開催されたのにも拘わらず参加者は80名。凄いよね。

マストドン内のタイムラインには「ウェーイ系ヲタ」が前夜祭から「オフパコオフパコ」と大騒ぎ。 参加者の満足度も高く「大成功」だった…とされている。

祭りの成功を受け、勢いに乗るウェーイ系。 「オマエら、オレたちについてこい」

これに対し、マストドンユーザーの反応は様々。

・ほとんどのユーザーは文化祭の存在を無視。 ・そもそも文化祭があったことを知らない。 ・一部の住民は、主催者に対し強い不快感を露わに。

この「マストドン文化祭」によって、マストドンユーザに生じた亀裂の真相を記したい。

1.表現する人を全力でバックアップします

2.マストドンが好き、という人が集まれる場を作ります

3.第二回、第三回を目指した持続的な文化の構築を目指します

4.運営、参加者、出展者全員が全力で楽しめる文化祭にします

【参考リンク】マストドン文化祭告知ページ

◆ グレーゾーン上に現れた「マストドン文化祭」

「マストドン文化祭」は「個人」によって企画・実施された。 主催者側はマストドンのユーザではあるが、公的な意味でマストドンと関わり合いがあるわけではない。 あくまで、ただのユーザだ。

「マストドン文化祭」は、個人の企画というには規模が大きかった。 手間と資金を投入して「公的なイベント」としての体裁を整えたのだ。

・青山のライブハウスを貸し切り、100名まで参加可能とした。 ・催し物や屋台も準備された。 ・参加費は1500円

この行為に対し、マストドンユーザー側では「凄い!」と称賛した人間と「なんだアイツら?」と不審がった人間にわかれた。

称賛した側は、素直に「面白そうなことやってるね、頑張ってるね」という意味で称賛した。 一方、不審がった側には「変な集団が『マストドンの名義』を借りて集客している」ように見えたのだ。

私は「不振に思った側」の人間だ。私の理屈はこうだ。

私はFacebookのアカウントを持っている。 しかし私は、Facebook社と公的な関わり合いはない。ただの一般ユーザだ。 その私が「Facebook文化祭」という名称でイベントを開催し、公的に宣伝し、参加者を募り参加費を徴収したらどうだろうか? 私が登壇して挨拶をすれば、私があたかも「Facebookを代表する人間」のように見えてしまう。 それは正しい行為だろうか?

「マストドン文化祭」は、こうした「グレーゾーン」上の企画であった。

▼ マストドン文化祭実行委員会の国見小道氏。あたかも「マストドン側の公的な立場」を装って発言をしているが、彼はただの一般ユーザである。

▼ ツイッターのマストドン文化祭告知アカウント。『「マストドン文化祭」というイベントを開催させていただくことになりました!」』と受け身で表現している。しかし、マストドンの公的機関が彼らに「開催してくれ」と依頼したわけではない。彼らが勝手にやりはじめたのだ。それをあたかも「公式イベント」のように見せたのがきわめて悪質である。

◆ 「スーパーフリー」と「マストドン文化祭」の類似点

かつて、早稲田大学には「スーパーフリー」というイベントサークルがあった。 「高学歴の男性はモテる、金を持っている」という性質をいかし、大規模なイベントを開催し、集まった女性を主催者側の男性陣が輪姦・強姦するという「遊び」を実行していた。

スーパーフリーの主催者は「早稲田大学の学生」であった。 そして、イベントの告知には「早稲田大学イベントサークル主催」となっていた。 主催者は「早稲田大学の代表」のように振舞い「学際的な交流」を謳っていた。

ところが、早稲田大学も早稲田大学の学生も、彼らを「代表」として任命したことはない。 彼らが勝手に「早稲田大学側全体の代表」として振舞っただけだ。

「マストドン文化祭実行委員」も全く同様で。 誰も彼らを「マストドンユーザの代表」として任命してはいないのだが、いつの間にか彼らが勝手に「自分達こそが、マストドンユーザの代表」として振舞いはじめたのだ。 ▼ マストドン文化祭の催し物で、サックスを吹いたという方の後日の反省ブログ。「出展者もFediverseなら、お客さんもFediverseになってほしいなと登壇者としては思うわけです」とある。

「登壇者としては~」の一文に「オレは普通のユーザよりも一段上にいるんだぞ」という意識の高さが垣間見れる。しかし、彼はただの一般ユーザである。

▼ 同ブログより。「関係者によれば~」という表記に「オレは大きな組織の仲間なんだぞ」という意識の高さが垣間見れる。私は中学生のときに文化祭実行委員も生徒会長も務めたことがあるが、当時の私は「関係者」ということになるのか。大げさである。このように、マストドン文化祭の「関係者」の発言は「自分達を大きく見せよう」という意図が節々に見られ、それが人々の不審感を煽っている。

【参考リンク】『マストドン文化祭、次へつなげるために。』 https://komittee-express.netlify.com/posts/mastodon-cultual-festival-2018-spring/

◆ 「アムウェイ」と「マストドン文化祭」の類似点

ネズミ講で有名なアムウェイは勧誘のためにバーベキューパーティーを開催する。 ねずみ講が好きなことと、バーベキューが好きなことは全く別なのだが、これをすり替えているのだ。 「バーベキューパーティーの楽しい仲間たちのことが好きなら、『ねずみ講』も好きでしょう?」といった具合に。

マストドン文化祭の開催趣旨には『マストドンが好き、という人が集まれる場を作ります』とあるが。

マストドン文化祭実行委員会は「マストドンが好き」と「マストドン文化祭実行委員会が好き」をすり替えようとしたのではないかと思われる。

一体なんのために?

勿論、オフパコのためである。 彼らはマストドンが好きで集まってきたJCやJKを強姦・輪姦することで童貞を捨てようとしたのだ。

▼「マストドン文化祭」は完全に内輪のパーティーだった。開催趣旨には「表現する人を全力でバックアップする」とあるが、タイムライン上に流れてくるコメントは終始オフパコに関するものだけ。

◆ 無職と童貞に気をつけろ

「無職の人間」は怖い。 何が怖いかといえば「無職なのに生きていること」だ。

彼らは生きるためにどんな嘘でも平気でつくし、両親や国家に金をせびり続ける。 彼らにプライドなどない。だから、生きているのだ。

その彼らが「童貞」であれば、どうなるか? その答えが、マストドン文化祭である。

彼らは童貞を捨てるためにどんな嘘でも平気でつくし、JCやJKにマンコをせびり続ける。 彼らにプライドなどない。だから、生きているのだ。

マストドンを覗いた人々は、彼らの書き込みが日本語として成立していないことに、すぐ気づくだろう。 彼らは知恵遅れであり、コミュ障であり、アルコール中毒患者なのだ。 その彼らが童貞を捨てるには「マストドン文化祭実行委員」を名乗るしかなかったのだろう。

彼らは「職業や地位、肩書きといったものがコミュニケーションを阻害しうる」とし、 それをあえて「見せない」ことで「深い、本当のつながりを得ることができる」と主張する。

騙されてはダメだ。 彼らはハンドルネームで肩書を隠し、ネットスラングで自らの醜い性格を隠し、 そうすることで「戦いを有利に進めようとしている」だけだ。

【参照リンク】『僕たちは永遠の文化祭の前日を生きている(mstdn.jpによせて)前編』 http://jk17.hateblo.jp/entry/2017/12/03/064447

(終)

※マストドン文化祭の当日の実際の様子は、下記のブログが比較的フラットな目線で詳細を記述している。私は、人間は社会的な動物だと考えるし、それゆえ「社会への適合を拒否する」ことを正義だと考えるニートやコミュ症や童貞を人間として一切信用していない。しかし、私とは逆の立場の人間であれば、楽しめるパーティ―なのかもしれない。

【参考リンク】

ニコフレコミュ障部の萬朶櫻が「マストドン文化祭」に行つてみたらメツチヤ樂しめた!

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