【雑記】楽器やって不幸になるタイプの男の話/ギターオークション観察記~私はフライングVになりたい




■■ 楽器やって不幸になる男の話


▼ 私は「音楽」の雑談が好きじゃない


私は音楽の話をするのが好きじゃなくて。メンバーとアルバム作りのために議論するのは好きだけど。でも、雑談レベルの音楽の会話って好きじゃない。

私は美少女だけど、音楽やってもう〇十年で、そりゃ過去には友達と「音楽の会話」を何度もしたけど、かったるくてさ。これ、音楽で研鑽を積めば積むほどわかってくることだと思うけど、「アマチュアの音楽の知識って、99.9999%、デタラメ」なのよ。いや、プロですら怪しい。それがわかってきちゃうと、もう、話をするのがバカらしくなっちゃうのよ。お互いによくわかってないのに、お互いにデタラメなこと言っててもむなしくない?


▼ 音楽は「喋る前に手を動かせ」


音楽は「喋る前に手を動かせ」つーかね。音楽って、死ぬほど練習して、死ぬほど録音しないとわかんないの。本や雑誌でノウハウを知って、わかった気になっても、それは錯覚でね。自分ひとりで弾いてると「私もだいぶ音楽を極めてきたな」とか思っちゃうんだけど、巧いヤツと一緒に音を出すと、もう、一瞬で「あ、ヤバイ、私、下手」ってわかる。議論とかどうでもいいの。レコーディングでもそうだけどさ、「じゃあ、弾いてみて」で勝負は決まる。

もうね、100曲だとか200曲だとかコピーして、お友達に「すげー!上手い!神だ!」とか持ち上げられててもさ、実際のレコーディングでは、一小節だとか、下手すると、最初の3音で「はい、失格。帰ってください」ってなる。


▼ 下手とか上手いとかの話じゃない


「速く、正確に指が動く」ことを重視するアマチュアプレイヤーは多い。また、YOUTUBEで「音楽を見てる」人も、そこに注目する人が99.9999パーセントよね。でも、案外ミスはどうでもいいのよ。レコーディングだったら弾き直せばいいから。ジャイアントなんか、一小節単位で直したりするし。最近、だいぶマシになったけど、それでも一曲通して弾いたことを私は見たことがない。いつもミスばっかり。でも、それでもいいの。

ミスかどうかつーより、「そこでなんでそれやるの?」ってことに対して「研究の裏付け」がないとダメなのよ。「この場面では、こうすると上手くいく」という実践的な経験を蓄積していないといけない。実践的な経験を蓄積した上でのミスは、ただのミスなの。でも、よくわかんない状態で弾いてるのは、もう、そいつの存在自体がミス。もっといえば、そいつの存在自体が「邪魔」なの。だから「帰ってください」ってなる。邪魔だから。


 音楽を邪魔しないの音を出すのは死ぬほど難しい


音楽をやるうえで、音楽を邪魔しないの音を出すのは難しい。基本的には「オマエの音なんかないほうがマシ」ってところからスタート。そして、そのスタート地点から、なかなか前に進めない。なぜならば音楽って「答えがひとつじゃない」のよね。それが逆に難しい。後ろで「じゃーん、じゃーん」と音が鳴ってるところに、ベースラインなりギターソロを入れるわけだけど。ドドドドって弾いても、ぼっべーぼっべーぼっべーって弾いても、ぴゅるぴゅるぴゅる~って弾いても、きゅーんって弾いても、理論的には正しいのよ。理論的には正しいんだけど「カッコ良いと思えるフレーズや音は、きわめて少ない」のよ。さらに難しいのは「同じフレーズでも、Aさんが弾くとカッコいいけど、Bさんが弾くとイマイチ」というのもある。打ち込みであっても「この音色で、このキーなら成立するけど、違う音色に変えたり、キーを変えると邪魔になる」つーのが腐るほどある。音色を変えたりキーを変更しても、理論的な整合性は変わらないはずなんだけど、でも、それが変わると「邪魔」になっちゃう場面がたくさんある。

ジャイアントはチョーキングが得意で、ギターソロはいつも「きゅーん」って感じで入ることが多い。「きゅーん」なんて、誰でもできるんだけど。でも、私が「きゅーん」ってやっても、「あ、ミッキーさん、もういいです。帰ってください」ってなる。仮に、私がミスせずに16小節のギターソロを弾いても、私のテイクは採用されない。逆に、ジャイアントの場合は「きゅーん」がなぜか音楽として成立して、だから、ミスしてもそこを直して採用テイクになる。

これを無理やり言葉や解説に落とし込んで、文章にすることはできないし。仮に、それを文章にしたとしても、その文章を読んで、「きゅーん」ができるようになるわけではない。やっぱり、手を動かして「自分なりの研究の裏付け」がないとダメなのよ。研究の裏付けのないノーミスのテイクと、裏付けのあるミスだらけのテイクだったら、裏付けのあるミスだらけのテイクに可能性が存在する。


▼ 音楽における正しい会話は「オマエ、それどうやってやってんの!?」


それでまあ、音楽の「会話」に戻るけど。音楽における「意義のある会話」のパターンはひとつしかない。まず、Aさんが「きゅーん」とか「どこどこどん」とか、なんでもいいから、とにかく「凄い音」を出す。それに気づいたBさんが「凄い!オマエ、それどうやってやってんの!?」と尋ねる。Aさんが、何をどこまで解説できるのかわかんないけど、Aさんが何回かやって見せたり、あるいは、どんな練習してるのか話をしてくれるのかもしれない。それを聴いてBさんが「ふーむ、わからん…」となる。これは、凄く意味がある会話。Bさんが「ふーむ、わからん…」となるのが正しいの。そこで「あ、そういうことか」って、パッとBさんが出来ちゃうような「音」つーのは、全然ダメなのよ。それはAさんの音が大したことないってこと。Aさんが懇切丁寧に何度も説明しても、Bさんには全く真似できないのが「凄い音」なの。

つまりさ、「音楽学校」なんてホントは成立しないはずなの。A先生が、しつこく、何度も説明しても、生徒には一切理解できないし、真似もできない。それぐらいじゃないと、A先生は「大したミュージシャンじゃない」ってことになる。でも、A先生がグレイトなミュージシャンだと、逆に、生徒は何も理解できなくて「金返せよ」ってなるわよね。もし、音楽学校を音楽学校として成立させたいならば、生徒も相当上手くないとダメよ。

一番理想的な「音楽関係」は、Aさんが「凄い音」を出して、Bさんが「ふーむ、凄い。わからん…」となって。Bさんも負けずに凄い音を出して、Aさんも「ふーむ、凄い、わからん…」となること。この状況だと、お互いの間で「相手に対する敬意」が生まれるわよね。これを「ミュージシャンシップ」というんだけど。「スポーツマンシップ」の音楽版ね。「ミュージシャンシップ」が生まれれば、上下関係はないのよ。だって、お互い凄いんだもん。

でも、アマチュアミュージシャン同士では「ミュージシャンシップ」は発生しないのよ。AさんとBさんの両方が凄い音を出すことなんて、まず、ありえない。どっちも下手か、あるいは、どっちか一方が「わりと上手い」ぐらいが、ほとんどじゃないかな。

これは、プレイヤーとリスナーの関係でもそう。プレイヤーが何か凄い音をを出して、あるいは変な音を出したとして。それに対してリスナーが「凄い」とか「下手くそ」とか言っても、「ミュージシャンシップ」が形成されていないから、「音楽の会話」は不可能なのよ。ミュージシャンシップがない状況で「音楽の会話」はできません。

ただし、プレイヤーが、プレイヤーの立場をおりて、ただのリスナーとして、雑談レベルで音楽を話すことはできる。これは「ミュージシャンシップ」ではなくて「フレンドシップ」と言います。「フレンドシップにおける音楽の会話」は、音楽的でもなんでもない。ホントに単なる雑談よね。天気の話と同じよ。雑談は雑談として楽しまなきゃいけない。

でも、いったん「プレイヤー」になってしまうと、プレイヤーの立場をおりることは心理的に難しい。「オレはギターを3年やってる」「オレはベースを10年やってる」「オレは作曲をやっている」「オレはボカロをやっている」という思い上がりや勘違いが「フレンドシップ」の構築の邪魔をする。

その「音楽知ったかぶり」の立場をおりて喋ることができる人間を、私は一人しか知らない。それが「ELZA」を一緒に制作したエルザ・シュマイケルなんだけどね。エルザは変わった人間よ。エルザ、めちゃくちゃ耳がいいのよ。とんでもなくいい。でも「私は音楽をやっている!」「私はミュージシャンだ!」みたいな感じが一切ないのよね。つーか、そういう立場から音楽について話をするのを嫌がるようなところある。めっちゃくちゃ耳はいいんだけど、「リスナーとして、フレンドシップで」しか、音楽の話をしない。


▼ 音を出して、出して、出しまくる、出し尽くすしかない


サクラコはメグデスのリーダーで。私は、サクラコの音楽のセンスは天才的だと思ってるけど。でも、絶望的なぐらい耳が悪いのよね。耳が悪いのに音楽の天才って変だけど。例えば「今度こういう曲やりたいんだけど」って、参考にプロの曲を聴かせるとするじゃん。で、サクラコが「真似してみる」って音を拾うと、全然違う曲になるの。

「やってたらこうなった」って。じゃあ、それがデタラメかつーと、そんなことは全くなくて。完璧にハーモニーを構築する。サクラコは、打ち込みの「画面」を見て、「視覚的に音楽を構築する」のよね。「この音と、この音の距離は、これぐらい離れていなくてはいけない」とか、「ここでこう上にあがったら、次はこう下に下がるのが美しい」とか、サクラコはそんな感じ。サクラコは「人間の耳」を、そもそも信用してないのよ。「人間の耳は麻痺する」っていうのがサクラコの作曲や編曲の大前提にある。だから「音は視覚で確認することが重要」だということね。サクラコは、耳で聴くより、画面で音を眺めてる時間の方が長いくらいじゃないかしら。わかんないけど。

だから、なにかの曲を聴いて、それを真似しようと「耳」で聴いて打ち込む場合でも、「画面を見て」、「この動きは違和感がある。この音はぶつかっている」と判断すると、我慢したり放置できずに直しちゃうわけよ。サクラコが並べる音には、全部意味がある。「ここはこうじゃないといけない!」という、サクラコなりの理論、理屈がある。だから、サクラコが「プロの曲を真似する」つーのは、「プロの音楽を勉強させていただく」なんてつもりはサラサラなくて、むしろ「プロの曲を、私が直してやる」って感じになる。私はもう、サクラコとの付き合いは長いから、サクラコの話を聴いて「ふーむ、なるほど」って感じだけど。普通の人がサクラコと仕事したら面食らうと思う。全部直されるつーか。

多分、アマチュアミュージシャンの99.9999パーセントはサクラコのやり方を否定して「理論的に外れていてもグレートな音はいくらでもある。ジミ・ヘンドリックスは~」とか言うと思うのよ。でもね、アマチュアミュージシャンの99.9999パーセントはサクラコより綺麗なハーモニーは組めない。つーか、サクラコの修正前と修正後を比較したら、99.9999パーセント、サクラコが修正したほうが綺麗な響きになると思う。アマチュアの中途半端な「耳」を使った「勘」に頼った「研究不足の音」は、サクラコには勝てない。でも、それに対抗できるのがギタリストのジャイアントなんだけど。サクラコがガチガチに組んだ打ち込みに、ジャイアントがギターを入れるじゃん。そのときに、サクラコが打ち込んだフレーズをジャイアントはあっさり変えちゃうのよね。ユニゾンパートとかでも。ギターソロも、サクラコが作ったフレーズやコード進行と合わないことをやる。その上で「オレに合わせて直せ」っていう。無茶苦茶よね。スタジオミュージシャンだったら、ありえない!でも、不思議なことに、ジャイアントのフレーズや主張に合わせたほうがしっくりくることも多いの。

ジャイアントはまた変わっていて、彼は「音階」じゃなくて「音圧」しか聴いてないの。ドラムの感覚というか。音圧が下がったり上がったり、あるいは、耳元でチャカチャカ鳴る音や、ボーン、ボーンって入るタイミングで「良い、悪い」を判断している。

これさ、言葉で書くと、サクラコもジャイアントも、めちゃくちゃなのよ。オマエらホントに音楽やってんのかっていう。でも、我々は言葉で話をしてるわけじゃなくて、「音」で話をしてるから。サクラコのバージョンと、ジャイアントのバージョンを比較して良いテイクを選んでる。言ってることめちゃくちゃでも、実際、聴いたときに「おっ!」と思わせたほうが勝ちなわけ。サクラコが勝つ場合も、ジャイアントが勝つ場合もある。ジャイアントもギターを何本も重ねてハーモニーを作る。それは「サクラコ理論」とは全然違う理屈で構築されてるんだけどさ。でも、サクラコ理論で構築したフレーズより「音圧、厚み」があって、カッコ良かったりすることもあるのよ。じゃあ、やっぱり「理論なんてどうでもいいんだ」ってわけでもなくて。そこから、ジャイアントのフレーズを残して、それに合わせてサクラコ理論で修正していくと、さらによくなるわけ。この「修正」は、ジャイアントではできない、気づかない領域なの。ホントに難しいのよ。だから、アルバムの完成まで半年かかったり、1年かかったりするわけでさ。でも、揉めても完成までたどり着くのは、お互いがミュージシャンシップに従って、お互いが「音」を出して修正していくから。これが、口だけでケンカしてるだけなら作業は永久に終わらない。また、フレンドシップに従って、お互いに遠慮したり褒めたたえあってたら、完成度はグッと低くなる。言葉じゃなくて、とにかく音を、出して、出して、出しまくって、出し尽くすしかないの。

ところが、エルザはまた、ちょっと変わってんのよね。エルザは作曲や編曲のときでも「リスナー」の立場でしか、音楽の話しないから。「私はこうで、こう思うから、こうしてほしい!」とか、エルザは一切言わないのよ。「あ、良くなった」「あ、綺麗になった」「あ、勢い出てきた」とか、そういう感じでしか音楽の話しない。これだけだと「感覚」で音楽やってるように思うじゃん?ところが、エルザは抜群に耳がいいから、パッと聴いて全部の音階がわかってんのよ。耳で聴いて、音を全部正確に再現できるの。でも「私はミュージシャンだぞ」みたいな自己主張はしないの。「あ、良くなった」「あ、勢い出てきた」とか、あくまで「リスナー」として、曲の仕上がりを聴く。

じゃあ、私はどうかというと。みんなの話をよく聴いて「よし、エルザに判断してもらおう」って感じ。結局、サクラコもジャイアントも「自分の音楽」の狭い領域に入り込んじゃってるからさ。「客観的な判断能力」は、そんなにないと思うのよね。私は、私が主体で曲を書くこともあるけど。まあ、あんまり考えないつーか。私の場合、曲は「あ、閃いた」って感じで、2秒とか3秒ぐらいで全体ができちゃうのよね。それが理論から導きだされたものなのか、感覚から導き出されたものなのかは、よくわかんねえわ。まあ、私は曲の骨格の部分しか作れないから、色付けはサクラコやジャイアントにやってもらうしかないんだけど。サクラコやジャイアントの曲にベースやドラムを付ける場合は、まあ、とりあえず感覚でやって。サクラコの話とジャイアントの話を聴いて、妥当だなと思う意見の方に寄せてラインを修正するかな。ただ、ドラムトラックについては、これは私もよくわかんないなりに主張があるから。「ここは加速しないとダメだろ」とか「ここは減速しないとダメだ」って、なんとなく思うから。思ったとおりにやる。で、エルザがいればエルザに感想聴いて。エルザの感覚と、私の感覚が一致すれば「OK」って感じ。サクラコとジャイアントで意見が食い違おうが、不思議と、エルザと私の感覚は、大体一致するのよね。私だけで判断することも多いけど、エルザがいるほうが、より「安全」に判断できるって感じ。まあでも、やっぱり「ダメだ」と思ったらダメね。「原因はよくわかんないけどダメ!やり直し!ボツ!」とか。私の中での「OKライン」は、ホントによくわかんないのよね。まとまってても、なんかつまんないなと感じたり。逆に、たどたどしくても、なんか面白いなと感じたりするからさ。

メグデスもアマチュアなんだけど。アマチュア音楽の最大の面白さってさ「プロだったら恥ずかしくて出せない」ものでも、出せちゃうところだと思うの。むしろ「プロだったら恥ずかしくて出せない領域」にこそ、音楽として「一番美味しい部分」が隠れてたりするんじゃないかなって思ったりもするし。プロの音楽ってさ、やってること、つまんないのよ。プロが巧いのって、つまりテンプレでやってるだけだからさ。プロが巧いわけじゃなくて、テンプレが巧いだけつーさ。メグデスもテンプレは凄く大切にするけど、テンプレでは終わりたくない。絶対、崩していきたいと思う。ぐちゃっとしようが「面白い音」を選びたい。このへんも理屈じゃなくて感覚よね。色々書いたけど、やっぱ、とりあえず、音を出して、音を聴いて比較しないと、何も判断できないわ。「音を出さない、音楽の会話」って意味わかんない。でも、楽器をちょっとかじってるヤツって、やたらそれをやりたがる。


▼ 音楽をやってる男が人生失敗したり孤独になるのは「ミュージシャンシップ」も「フレンドシップ」もないから


長々書いたけど、やっぱり「音楽の話」って、とりとめないし、ぐちゃぐちゃになるのよ。私、IQ127で言語能力に特化してるの。何か現象を、言葉に落とし込んだり文章にまとめるのは、死ぬほど上手なのね。自分で言うのもなんだけど。その私がさ、「音を出さずに音楽の話をしても面白くならない」って結論を出してんのよ。それを面白くしようとしたら「嘘」になる。上述した、ぐだぐだした話もさ、ここに音があれば、めっちゃ面白いのよ。めちゃくちゃ面白い。サクラコが「こうだ」って音を出して。ジャイアントがそれを無視して「こうだ」って音を出して。なんかぐっちゃぐちゃなんだけど、サクラコがキーボードの音色変えてギターにあわせたら、その部分だけ凄く良くなって。でも、サビとのつながりが悪くなって、「サビをボツにして直そう!」とかさ。で、サビを直した後に、私が「全然ダメ、ボツ!」とかやるわけだから。そりゃ面白いわよ。私の気分は最高!でも、このプロセスや面白さを文章化することはできないです。ミュージシャンは、とにかく音を出して、ミュージシャンシップで生きていくしかない。そうすれば楽しくなる。売れようが売れなかろうが、全然関係ない。私はメグデスの音楽をやるのが楽しくてしょうがない。腹を抱えて笑うこともある。音で笑っちゃうのよ。「マジかよ!すげー!」とかさ。落語とかコントみたいに、ネタやオチがなくても、音の世界では、音だけで笑えたり泣けるのよ。

ところがさ、ネット上には、いや、リアルにもさ。音楽やって、人生上手くいかずに、すげー不幸そうなオーラを背負ってる男がたくさんいるのよ。なんでだと思う?

不思議なことにさ。「音楽やってることが原因で不幸になってる女」って、私、見たことないのよ。音楽やってる女はみんな元気ね。例外もあるかもだけど、大抵は元気。でも、男はダメね。なんか、すげー借金かかえたり、貧乏くさかったり、病気がちだったり、鬱だったり…。一体、なにをどうしたら、そんなに不幸になるんだっつーぐらい不幸な男が、アマチュアミュージシャンの中にはゴマンといる。なんでだと思う?

繰り返すけど、私は美少女だけど、音楽やって〇十年でさ。だから、色んなアマチュアミュージシャンを見てる。で、99.9999パーセントのアマチュアミュージシャンの「男」は人生失敗してる。孤独に陥ってる。彼らは「売れなかったから」「認められなかったから」、あるいは「プロになれなかったから」という理由で、「自分は不幸になった」と思い込んでる。SNSにも無数にいるでしょう?不幸そうな、貧乏くさそうな、病気がちの、会社にハブられて楽器やってる男。どうして、そうなるのか?もっと売れて、プロになって曲が売れれば、彼らは幸せになれたのか?私は、そうじゃないと思う。プロになっても、その不幸は変わらない。プロでも不幸そうな陰気臭い顔してるヤツはたくさんいる。つーか、音楽が楽しくてしょうがないって顔で演奏してる日本人って、あんまみたことねえわ。病人とか死人みたいな感じ。

音楽をやって不幸になる男の原因は「ミュージシャンシップ」と「フレンドシップ」を使いわけられていないから。もしくは「どちらも持ち合わせていない」こと。

音楽をやります!そしたら、目指すべきは「ミュージシャンシップの構築」なの。とにかく音を出す。相手の音を聴く。音で泣いたり笑ったり怒ったりできる領域まで、自分を持っていかないといけない。「音楽に言葉はいらない」のよ。テキトーに歌詞ぐらい書いてもいいけど、それ以外では音でコミュニケーションするしかない。これはとても独特な世界よ。

逆に「社会的に上手くやりたいです」「恋人が欲しいです」といった場合は「フレンドシップ」の世界なの。これは「言葉と態度」が全てよ。音楽は一切関係ない。音楽は忘れろ。楽器をやってることすら、人に言うな。「バンドマンは差別されるから」だとか、そういうことじゃなくて。自分のことを「ミュージシャン」だとか「バンドマン」だとか考えてしまうと、それが他者との「対等なフレンドシップ」の構築を邪魔するのよ。合コンとか出会い系で「楽器やってます!」だとか言う男はダメ。それが一時的に上手くいっても、絶対に将来破綻する。ミュージシャンシップを構築するときは、ミュージシャンシップを徹底しなきゃいけないし、フレンドシップを構築するときは、フレンドシップを徹底しなきゃいけない。これをまぜこぜにして「音楽の会話はやたらして、楽器をやってることを吹聴するけど、音はあんまり出さずに、でも、態度はミュージシャン崩れのまま、みんなとフレンドリーに話そう」なんて無理なのよ。まともに音楽をやってるヤツは、そういう男を軽蔑するし。音楽をやってないヤツも「コイツ、なんか意味わかんねえな」って離れていく。楽器やってダメになる男って「ミュージシャンシップ」も「フレンドシップ」もないのよ。ただの「よくわかんない人間」でしかない。結果として、不幸になる。当り前よね。アイツらの日々の言動を見てみろ。私の言ったとおりだとわかるはずよ。


で、最初の話に戻るけどさ。私が普段、音楽の雑談をしないつーのは、生きていく過程で自然に身に着けた「人生のコツ」ね。つーか、女はみんな、自然とそうなのよ。男だけが、なんか中途半端でグダグダな「ミュージシャン?みたいな鬱の人」になりやすい。気をつけな。こんなことに気づいて注意してあげるのは、IQ127である私ぐらいよ。


メグデスのファンで、音楽をやってる人間がどれぐらいいるかわかんないけど、私が言ったことを忘れないように。「ミュージシャンシップとフレンドシップは切り分けろ」

そして、メグデスのファンに、どれぐらい女がいるかわからないけど、私の注意をよく守るように。

「音楽の話をやたらしたがる男には近づくな」

絶対に不幸になるから。関わるな。相手にするな。以上



■■ ギターオークション観察記


なんか、思ったより説教臭いブログになっちゃったから、もうちょっと楽しい話をしようかな。


▼ 私の趣味は「フライングVの価格を調べること」


楽しい話っていうと何がいいかしらね。私、ずっと楽器の練習ばかりしてるから、それ以外の話題ってあんまりないのよね。あえていうと、私の趣味は「フライングVの価格を調べること」かしらね。私、フライングVが凄く好きなの。フライングVっていうのは、ギターのカタチの一種なんだけど。V字型のギターをフライングVって言うの。今までみたフライングVの中で、一番好きなのはこれ。マジで綺麗よね。うっとりする。


私、ギターはそんなに興味ないのよ。ベーシストだし。でも、フライングVは好きなの。フライングVじゃないと嫌だ。ただ、私も歳をとって丸くなって、最近はダイムバッグモデルも好きになった。最近2本買ったんだけどね。まあ、私のギターコレクションはアルバム、7th「BAD SISTERS」の付録で紹介してるから興味あったら見て。


▼ 私のダイムバッグモデル。味わい深い。イナズマも凄く可愛い。「頑張るぞ、おー!」って感じ。


▼ よく知らないけど、ダイムバッグモデルが好きな女子は多いみたい。よく知らないけど、Love bitesのMIYAKOちゃんもダイムバッグモデル使ってるわね。可愛い。


▼ フライングVのシグネチャーモデルも出してるし、私の感性はMIYAKOちゃんに近いのかもしれない。でも、このデザインはねえな。このフライングVはダサい。ごめんね、MIYAKOちゃん。でも、私、自分の気持ちに嘘はつけない。


▼ ヤフオクでフライングVに入札する毎日


でさ、最初はフライングVの「デザイン」をネットで眺めてるだけだったんだけど。やっぱ欲しくなってさ。欲しくなると「価格」も調べるじゃん。で、相場価格がわかってくると「転売」したくなるじゃん。だよね?

「あれ、このフライングV、こんなに安く出てる!」

そう感じると、もう入札せずにはいられないの。でも、なかなか競り落とせない。ぐすん…。



▼ 楽器にはプレミアがつく


「転売」っていうのは、チケットとかの世界だと「悪いこと」とされてるけど。でも、楽器の世界では「当り前」なのよね。一番わかりやすいのは「新品で買って、10年ぐらい寝かせて、プレミアがついてから売る」っていうのだけど。まあ、これは「転売」とは言わないか。

いずれにせよ、楽器って、同じデザイン、同じ色や柄をそんなに量産するわけじゃないのよ。楽器って、洋服と同じで「個性」だからさ。他人と全く同じ色やカタチの楽器使って「被ってる」と「恥ずかしい」じゃん。思わない?

ギタリストはエゴの塊だから「自分だけの特別なギター」が欲しいわけよ。だから、ギターブランドも、毎年ちょっとずつモデルチェンジして販売する。だから、自ずと「希少価値」がついて中古のギターは高くなる。Gibsonなんかは、もう、そういう販売戦略をとってるわよね。勿論「定番商品」もある。色やカタチも全く同じ場合は「より古いほうが価値が高くなる」。また、数が少ないから「日本には輸入していないモデル」というのもある。アメリカでしか販売していないモデルを日本に輸入して販売すれば、当然、アメリカよりも高い価格になる。これが基本的な考え方ね。私も、カナダで3万円で売ってるギターを、日本の業者からうっかり10万で買っちゃったことあるわ。でも、日本にはあまり出回っていないモデルだと、それもしょうがないの。


▼ 私がうっかり10万で買っちゃったフライングV。中国製でカナダでは3万円。ジャイアントには「これは凄いギターだ!弾きやすいし、音もヘビーだし、完璧だ!オレに4万円で売ってくれ!(爆笑)」ってバカにされた。でもまあ、日本に輸入されてるギターって全て現地より高いのよ。アンタらだって、4~5万ぐらい余計に払ってギター買ってんのよ。気づいてないだけで!まあ、最近のギターは中国やインドネシア、韓国で生産して、それを世界に展開するから、そんなに価格差はないけどね。しかし、中国製のギターがカナダでは3万円で、日本では10万円つーのは、かなりのレアケースでしょうね。なんでそうなるの??


▼ アメリカ製のギターが、アメリカで買うより日本で買う方が安い理由

 

アメリカのギターを輸入して日本で販売すれば、当然、日本で買う方が高くなるわよね。ところが、そうでないことも多いの。というのは、最近の日本って貧乏でしょ?若者がギターに払えるお金ってそんなにないわけ。ところが、アメリカはずっとパワーがあるからさ。初任給も日本とは全然違う。

で、アメリカ製のギターが中古でプレミアがついた場合。アメリカは高くても売れるから価格が高騰するのよ。一方、そのアメリカ製のギターが日本にある場合、日本人は貧乏だから、プレミアがついても、そんなに価格があがらないわけ。日本国内に売るより、海外に輸出販売したほうが利益が出る場合もある。



▼ 高いギターは良い音がする?


さて、ギターの価格について色々と説明したけど。じゃあ、率直な質問として。高いギターは良い音がするのか?この答えは明確に「ノー」です。楽器の「価格」って複雑な要素がいくつも絡まって算出されるの。


1.緻密な工程で製造し、緻密な品質管理をしている。

2.手作業が多い。

3.希少な木を使ってる。

4.良い金属部品を使っている

5.製造本数が少ない。

6.宣伝にコストをかけている。

7.プレミアがついている。

8.古い個体が丁寧に保管されている。

9.木目が綺麗


このうち「音の良さ」に直結する部分って、せいぜい「1」と「4」ぐらいなのよ。製造本数が少ないことと、音が良いか悪いかは全く関係ないでしょ。

一番勘違いされやすいのが「2」ね。「職人が一本一本、手作りで製造したギター」って、なんかスゲー音が良さそうじゃん?でも、これも全然違う。なぜ職人が手作業で作業しているのか?それってつまり「評価されずに売れないから、会社が貧乏で、デカい機械が工場に導入できない」っていうことでもある。