【雑記】楽器やって不幸になるタイプの男の話/ギターオークション観察記~私はフライングVになりたい




■■ 楽器やって不幸になる男の話


▼ 私は「音楽」の雑談が好きじゃない


私は音楽の話をするのが好きじゃなくて。メンバーとアルバム作りのために議論するのは好きだけど。でも、雑談レベルの音楽の会話って好きじゃない。

私は美少女だけど、音楽やってもう〇十年で、そりゃ過去には友達と「音楽の会話」を何度もしたけど、かったるくてさ。これ、音楽で研鑽を積めば積むほどわかってくることだと思うけど、「アマチュアの音楽の知識って、99.9999%、デタラメ」なのよ。いや、プロですら怪しい。それがわかってきちゃうと、もう、話をするのがバカらしくなっちゃうのよ。お互いによくわかってないのに、お互いにデタラメなこと言っててもむなしくない?


▼ 音楽は「喋る前に手を動かせ」


音楽は「喋る前に手を動かせ」つーかね。音楽って、死ぬほど練習して、死ぬほど録音しないとわかんないの。本や雑誌でノウハウを知って、わかった気になっても、それは錯覚でね。自分ひとりで弾いてると「私もだいぶ音楽を極めてきたな」とか思っちゃうんだけど、巧いヤツと一緒に音を出すと、もう、一瞬で「あ、ヤバイ、私、下手」ってわかる。議論とかどうでもいいの。レコーディングでもそうだけどさ、「じゃあ、弾いてみて」で勝負は決まる。

もうね、100曲だとか200曲だとかコピーして、お友達に「すげー!上手い!神だ!」とか持ち上げられててもさ、実際のレコーディングでは、一小節だとか、下手すると、最初の3音で「はい、失格。帰ってください」ってなる。


▼ 下手とか上手いとかの話じゃない


「速く、正確に指が動く」ことを重視するアマチュアプレイヤーは多い。また、YOUTUBEで「音楽を見てる」人も、そこに注目する人が99.9999パーセントよね。でも、案外ミスはどうでもいいのよ。レコーディングだったら弾き直せばいいから。ジャイアントなんか、一小節単位で直したりするし。最近、だいぶマシになったけど、それでも一曲通して弾いたことを私は見たことがない。いつもミスばっかり。でも、それでもいいの。

ミスかどうかつーより、「そこでなんでそれやるの?」ってことに対して「研究の裏付け」がないとダメなのよ。「この場面では、こうすると上手くいく」という実践的な経験を蓄積していないといけない。実践的な経験を蓄積した上でのミスは、ただのミスなの。でも、よくわかんない状態で弾いてるのは、もう、そいつの存在自体がミス。もっといえば、そいつの存在自体が「邪魔」なの。だから「帰ってください」ってなる。邪魔だから。


 音楽を邪魔しないの音を出すのは死ぬほど難しい


音楽をやるうえで、音楽を邪魔しないの音を出すのは難しい。基本的には「オマエの音なんかないほうがマシ」ってところからスタート。そして、そのスタート地点から、なかなか前に進めない。なぜならば音楽って「答えがひとつじゃない」のよね。それが逆に難しい。後ろで「じゃーん、じゃーん」と音が鳴ってるところに、ベースラインなりギターソロを入れるわけだけど。ドドドドって弾いても、ぼっべーぼっべーぼっべーって弾いても、ぴゅるぴゅるぴゅる~って弾いても、きゅーんって弾いても、理論的には正しいのよ。理論的には正しいんだけど「カッコ良いと思えるフレーズや音は、きわめて少ない」のよ。さらに難しいのは「同じフレーズでも、Aさんが弾くとカッコいいけど、Bさんが弾くとイマイチ」というのもある。打ち込みであっても「この音色で、このキーなら成立するけど、違う音色に変えたり、キーを変えると邪魔になる」つーのが腐るほどある。音色を変えたりキーを変更しても、理論的な整合性は変わらないはずなんだけど、でも、それが変わると「邪魔」になっちゃう場面がたくさんある。

ジャイアントはチョーキングが得意で、ギターソロはいつも「きゅーん」って感じで入ることが多い。「きゅーん」なんて、誰でもできるんだけど。でも、私が「きゅーん」ってやっても、「あ、ミッキーさん、もういいです。帰ってください」ってなる。仮に、私がミスせずに16小節のギターソロを弾いても、私のテイクは採用されない。逆に、ジャイアントの場合は「きゅーん」がなぜか音楽として成立して、だから、ミスしてもそこを直して採用テイクになる。

これを無理やり言葉や解説に落とし込んで、文章にすることはできないし。仮に、それを文章にしたとしても、その文章を読んで、「きゅーん」ができるようになるわけではない。やっぱり、手を動かして「自分なりの研究の裏付け」がないとダメなのよ。研究の裏付けのないノーミスのテイクと、裏付けのあるミスだらけのテイクだったら、裏付けのあるミスだらけのテイクに可能性が存在する。


▼ 音楽における正しい会話は「オマエ、それどうやってやってんの!?」


それでまあ、音楽の「会話」に戻るけど。音楽における「意義のある会話」のパターンはひとつしかない。まず、Aさんが「きゅーん」とか「どこどこどん」とか、なんでもいいから、とにかく「凄い音」を出す。それに気づいたBさんが「凄い!オマエ、それどうやってやってんの!?」と尋ねる。Aさんが、何をどこまで解説できるのかわかんないけど、Aさんが何回かやって見せたり、あるいは、どんな練習してるのか話をしてくれるのかもしれない。それを聴いてBさんが「ふーむ、わからん…」となる。これは、凄く意味がある会話。Bさんが「ふーむ、わからん…」となるのが正しいの。そこで「あ、そういうことか」って、パッとBさんが出来ちゃうような「音」つーのは、全然ダメなのよ。それはAさんの音が大したことないってこと。Aさんが懇切丁寧に何度も説明しても、Bさんには全く真似できないのが「凄い音」なの。

つまりさ、「音楽学校」なんてホントは成立しないはずなの。A先生が、しつこく、何度も説明しても、生徒には一切理解できないし、真似もできない。それぐらいじゃないと、A先生は「大したミュージシャンじゃない」ってことになる。でも、A先生がグレイトなミュージシャンだと、逆に、生徒は何も理解できなくて「金返せよ」ってなるわよね。もし、音楽学校を音楽学校として成立させたいならば、生徒も相当上手くないとダメよ。

一番理想的な「音楽関係」は、Aさんが「凄い音」を出して、Bさんが「ふーむ、凄い。わからん…」となって。Bさんも負けずに凄い音を出して、Aさんも「ふーむ、凄い、わからん…」となること。この状況だと、お互いの間で「相手に対する敬意」が生まれるわよね。これを「ミュージシャンシップ」というんだけど。「スポーツマンシップ」の音楽版ね。「ミュージシャンシップ」が生まれれば、上下関係はないのよ。だって、お互い凄いんだもん。

でも、アマチュアミュージシャン同士では「ミュージシャンシップ」は発生しないのよ。AさんとBさんの両方が凄い音を出すことなんて、まず、ありえない。どっちも下手か、あるいは、どっちか一方が「わりと上手い」ぐらいが、ほとんどじゃないかな。

これは、プレイヤーとリスナーの関係でもそう。プレイヤーが何か凄い音をを出して、あるいは変な音を出したとして。それに対してリスナーが「凄い」とか「下手くそ」とか言っても、「ミュージシャンシップ」が形成されていないから、「音楽の会話」は不可能なのよ。ミュージシャンシップがない状況で「音楽の会話」はできません。

ただし、プレイヤーが、プレイヤーの立場をおりて、ただのリスナーとして、雑談レベルで音楽を話すことはできる。これは「ミュージシャンシップ」ではなくて「フレンドシップ」と言います。「フレンドシップにおける音楽の会話」は、音楽的でもなんでもない。ホントに単なる雑談よね。天気の話と同じよ。雑談は雑談として楽しまなきゃいけない。

でも、いったん「プレイヤー」になってしまうと、プレイヤーの立場をおりることは心理的に難しい。「オレはギターを3年やってる」「オレはベースを10年やってる」「オレは作曲をやっている」「オレはボカロをやっている」という思い上がりや勘違いが「フレンドシップ」の構築の邪魔をする。

その「音楽知ったかぶり」の立場をおりて喋ることができる人間を、私は一人しか知らない。それが「ELZA」を一緒に制作したエルザ・シュマイケルなんだけどね。エルザは変わった人間よ。エルザ、めちゃくちゃ耳がいいのよ。とんでもなくいい。でも「私は音楽をやっている!」「私はミュージシャンだ!」みたいな感じが一切ないのよね。つーか、そういう立場から音楽について話をするのを嫌がるようなところある。めっちゃくちゃ耳はいいんだけど、「リスナーとして、フレンドシップで」しか、音楽の話をしない。


▼ 音を出して、出して、出しまくる、出し尽くすしかない


サクラコはメグデスのリーダーで。私は、サクラコの音楽のセンスは天才的だと思ってるけど。でも、絶望的なぐらい耳が悪いのよね。耳が悪いのに音楽の天才って変だけど。例えば「今度こういう曲やりたいんだけど」って、参考にプロの曲を聴かせるとするじゃん。で、サクラコが「真似してみる」って音を拾うと、全然違う曲になるの。

「やってたらこうなった」って。じゃあ、それがデタラメかつーと、そんなことは全くなくて。完璧にハーモニーを構築する。サクラコは、打ち込みの「画面」を見て、「視覚的に音楽を構築する」のよね。「この音と、この音の距離は、これぐらい離れていなくてはいけない」とか、「ここでこう上にあがったら、次はこう下に下がるのが美しい」とか、サクラコはそんな感じ。サクラコは「人間の耳」を、そもそも信用してないのよ。「人間の耳は麻痺する」っていうのがサクラコの作曲や編曲の大前提にある。だから「音は視覚で確認することが重要」だということね。サクラコは、耳で聴くより、画面で音を眺めてる時間の方が長いくらいじゃないかしら。わかんないけど。

だから、なにかの曲を聴いて、それを真似しようと「耳」で聴いて打ち込む場合でも、「画面を見て」、「この動きは違和感がある。この音はぶつかっている」と判断すると、我慢したり放置できずに直しちゃうわけよ。サクラコが並べる音には、全部意味がある。「ここはこうじゃないといけない!」という、サクラコなりの理論、理屈がある。だから、サクラコが「プロの曲を真似する」つーのは、「プロの音楽を勉強させていただく」なんてつもりはサラサラなくて、むしろ「プロの曲を、私が直してやる」って感じになる。私はもう、サクラコとの付き合いは長いから、サクラコの話を聴いて「ふーむ、なるほど」って感じだけど。普通の人がサクラコと仕事したら面食らうと思う。全部直されるつーか。

多分、アマチュアミュージシャンの99.9999パーセントはサクラコのやり方を否定して「理論的に外れていてもグレートな音はいくらでもある。ジミ・ヘンドリックスは~」とか言うと思うのよ。でもね、アマチュアミュージシャンの99.9999パーセントはサクラコより綺麗なハーモニーは組めない。つーか、サクラコの修正前と修正後を比較したら、99.9999パーセント、サクラコが修正したほうが綺麗な響きになると思う。アマチュアの中途半端な「耳」を使った「勘」に頼った「研究不足の音」は、サクラコには勝てない。でも、それに対抗できるのがギタリストのジャイアントなんだけど。サクラコがガチガチに組んだ打ち込みに、ジャイアントがギターを入れるじゃん。そのときに、サクラコが打ち込んだフレーズをジャイアントはあっさり変えちゃうのよね。ユニゾンパートとかでも。ギターソロも、サクラコが作ったフレーズやコード進行と合わないことをやる。その上で「オレに合わせて直せ」っていう。無茶苦茶よね。スタジオミュージシャンだったら、ありえない!でも、不思議なことに、ジャイアントのフレーズや主張に合わせたほうがしっくりくることも多いの。